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レジェ・パラ #11「ケブラーダの街」
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イ.
車窓に広い広い大河が近寄ってきて、添いだした。水は満ちみちており、まるで細長い湖のようだ。
「これが地理で習った、ドンドン川なんだ……」
レジェはためいきまじりにつぶやいた。対面の席のパラがその表情をじっとのぞきこんでいる。
「なぁに、 なんの川?」
「ドンドン川だよ。パラも、きょねん習ったろ、」
「あぁ……、そういえば。」
「ケブラーダの街が近いってことサ。」
ドンドン川とは、チナードータミーの湖を源流とし、ひろい流れをつらぬくままにナ・バの海へと至る大河である。川の流れる音が、そのなまえの由来だそうだ。2人とも、地理の教科書にそうあったのを想い巡らしながら、川面をみている。岸のこちらがわと川むこうで、それぞれに家がたちならんできた。ヒュッテロ、コスミオ、南ケブラーダ。市内電車の停留所ぐらいの間隔で、駅所がつづいた。
「ここは、いいお酒の、あの、ほれ、産地なんですよ、」
女のひとの連れのおじさんが、どもども云ったのがレジェの耳にきこえた。
「それは私も識っています。家ほどもあるタル入りのいちご酒、ですわね。」
「ほう、先生も、いや、なかなか……。あ、ほら、みえましたよ、」
耳にはさむままに、レジェも窓の外をさがした。木造の家々の屋根と屋根とのあわいに、とんでもなく大きく丸い木のタルが、本当に塔のようにそびえていた。
「あんなにたくさんのおサケ、のんでたら何日かかるのかしら!」
おなじく窓外をさがしていたらしいパラが、すっとんきょうな大声をだして感嘆した。レジェは面映くて、まわりをきょろきょろ見ながら顔をあつくさせていると、うしろのほうから女のひとが声を向けてきた。
「あれは本物のおさけが入っているわけじゃないのよ。お嬢ちゃん、」
「かざりなの?」
「看板みたいなものよ。」
「へぇ、おもしろ〜い。ねぇレジェさま、」
パラがレジェのほうを向きかえり、栗いろの前髪のしたで眸をかがやかせた。けれど少年は頬づえをくずさぬままに、こくりとあごをひいてみせるだけだった。
少女がみるみる頬をふくらませるのが、横目にわかる。
「つまらん男。」
パラが小声でつぶやいた。
「な、なんて云った?」
レジェは耳をうたがうようなコトバに、おこるよりもびっくりして思わずききかえしたけれど、パラはむくれ顔をのぞかせて、窓の外をじっと見つめるままだ。シイツを干した軒さきやクレオソートを染みこませた木の電信柱が、窓をびゅんびゅんかすめていく。
ごろごろと床下がふるえるのを合図に汽車は速度をゆるめ、歩廊の横たわる駅所の構内にはいった。高い音をたてて車輪が回転を停める。ケブラーダ中央駅、だった。
ケブラーダという街は、レジェが羨望する街のひとつである。
赤歴史のころ、ヘドニックの国が治めたドンドン川流域にあって、唯一治外法権を許された街が、このケブラーダである。独自といっていい文化を形成しており、そのひとつが、お酒を中心とした産業だ。
レジェは降りて歩いてみたくなって、腰のあたりがそわそわしだしたけれど、しかしここで降りるとつぎの汽車やそのつぎの汽車の時間の具合がよくない。それに、こんな調子で気になる街すべてをいちいち巡っていては、春季休暇だっておわってしまう。休暇も、無限ではないのだ。
汽車は歩廊にとまったまま、なかなか発車しない。窓にひたいをくっつけたままのパラも、そのひたいをちょっと離して、宙に眼をしばたかせた様子だった。「ケブラーダ中央」の名標の文字が窓のスクリーンに焼きつくほどながくとまっている。やがて車掌がやってきて、対向する汽車とすれちがうために、しばらく停車すると告げて歩いた。
しばらく待つと、汽笛の音につづいて蒸機ががしゅがしゅと滑ってきて、それが引っ張っていくくろい貨車が、おもく地響きを伝え、いくつも続いた。
地響きが遠のいていき、やがて聞こえなくなると、信号手が腕木をしゃんと切換え、青になる。駅吏が赤いろの旗をふる。笛が鳴って、汽車の心臓が鼓動をはやめた。
うしろ髪をひかれる思いで、レジェはケブラーダの歩廊をみおくった。
駅所の構内が尽きると、窓の外にはすぐに木造の家屋が密集しはじめ、また大きなタルがみえた。街に一歩を記すことなく、汽車の走るままに街を行き過ぎる。汽車で素通りしただけでその街へ来た気になるのはまちがいだ。駅所を降りて、あるいてみるまでその街の表情はなにひとつわからない。家々は汽車道におしりを向けて立っていて、往来には顔を向けて立っているのだ。けれど勝手口の行列の、その向こうに頭を突き出す巨大なタルが、ケブラーダの街の持つ表情の一端をかいまみせ、レジェの旅心を慰めた。
ロ.
その街並みは、はじめてみるはずなのに、どこかで知っているような気がした。木造の家屋、ヘギに石をおいた屋根。どの家もまるで酒屋のように、玄関先に壜を並べてある。屋根のエントツからは、うすいいろの煙がたちのぼる。――教科書の口絵でみた風景。
ケブラーダの街だった。たしかにケブラーダの街だ。大きな木のタルが家々の向こうにそびえている。レジェは気がつくと、その街角にぼんやり立っていた。
汽車の座席にパラと向かいあって掛けていたはずなのに、いま自分はケブラーダの街にいる。どうしてだろう。レジェはなぜかぼんやりして、すっきりしない頭の記憶の整理をはじめた。
……わからない。
たしかに、汽車に乗っていて、汽車に乗ったままケブラーダの駅所を出発したと思う。ケブラーダの街にいま自分が立っているはずがない。
ハッと一瞬頭にひらめいて、レジェは大事なことに気がついた。――パラはどうしただろう。あわてて、あたりを見まわしてみる。だれの姿もない。ふしぎと歩くひともだれもいなかった。
ドンドン川がはこんでくるのか、ふきおろす風がつめたい。風はエントツのけむりをふきちらし、家々の壁のあいだで笛のような音をひびかせた。風はしかも、酒のたまらないにおいを含んでいる。レジェは山高帽子のつばに手を添えながら身体を縮めた。
理不尽だ。泣いたりはけっしてしないけれど、泣きたい気分だ。
とにかく、駅所へ行ってみよう。そうすれば、駅吏も巡査もいるからなんとかなるだろう。もしかすればパラが待っているかもしれない。レジェはそう考えて、いちばん大きい道をえらんで歩きだした。道は想像していたケブラーダの街路よりはるかに貧相で、石ころがはじきとんだ。犬のほえる声がどこかから盛んにきこえる。その声をききつけた別の犬が、対抗するようにまたほえだした。
レジェもいろいろひとりで旅をしてきて、街あるきには慣れている。地図はなくとも、その街の繁華街や役所や駅所などのありかを皮膚感覚でさがすことができるつもりだった。けれどケブラーダというこの街は、それがおごりだったことと自覚させてくる。この道か、と思って角をまがり、板塀のあいだを右に左に曲折しながら至ったさきが、袋小路のいきどまりだったりする。四ッ角の道2つが歩いたさきでシャモジのようにつながっていて、結局おなじところへ戻ってきたりする。道のひろさもあてにはならない。目抜き通りなみと見た道が、歩くほどに先細りする傾向がこの街にはあった。家並みも、似たような木造のひらべったい家屋の連続で、遠景に巨大なタルがみえるほかは、ランドマークがなにひとつない。街なのに、洞窟の音楽の流れていそうな街だった。
どこかの家のほうから、うぅぅ……と、なにか犬がうなるようなひくい声がきこえる。レジェはまずいと感じ、あとしざりながらその方をみた。犬はむしろ、こちらからにらんだほうが黙る。けれどそこに犬はいなかった。犬ではない。木造の家の木戸をうすくあけて、そのなかからおそろしい形相をした老人の眼がひかっている。おまえだれだ、そういう声がきこえたような気がした。
「すいません!」
レジェはとびのくように駆け出して、その家がみえなくなる場処まで逃げた。道のさきに、せまい水路が横切っていて、にごった水が流れるでもなくゆっくりとドロドロうごめいている。青黒いその水は、ぷぅんと酒くさい。
水路にはクギのとびでた粗末な板の橋が渡してあり、路地はそこを渡ってつづいている。けれど、こんなところを渡れというのだろうか。レジェは水路の幅をはかって、ゴクリとつばをのみこんでから助走をつけた。帽子をおさえておもいきり跳ねる。着地のいきおいでつんのめって、対岸の石ころ道に膝をついた。
傷はおもいのほかで、膝に血が浮かんでいた。レジェはザックのなかの膏薬をつけようと思って、また愕然となった。背中は身軽だった。なにも背負っていない。汽車のなかに置いたままにしてきたにちがいなかった。
血をすくいとって舐め、にがい味を意識に住まわせたまま、がたがた道を歩いた。まさかこの道が行きどまりだったら、もう泣いてしまうだろうなと考える。膝があつい。歩くと土の硬さが膝へつたわり、血がつっと流れるのがわかる。
あせりが首すじから背中をつたって、息があつくなってきたときに、誰かにうしろから声をかけられて、足がすくむようにとまった。
ふりかえると、眼鏡をかけた女性だった。レジェのみたことのあるひとだ。あの、おなじ汽車にのっていた女のひとだった。
「あ……、」
レジェは気のぬけたような声をだした。
「あなた、これで、わかったでしょう。」
たしか先生ともよばれていた女のひとは、眼鏡をひからせながら、しずかな声で云う。
「旅人は、街を自分のものにできたと思いこむ。とくに汽車に乗る旅人はね。……けれど、あなたが思っているほど、街は旅人に心をひらかないものよ。」
レジェは、なんのことを話しているのだろうかと考えながらも、女のひとのつやのある声にただ耳をかたむけていた。
「わからないかしら、」
女のひとはレジェのほおに手をのばしながら訊いた。
「……わかるわね。あなたはかしこい子です。」
知らないあいだにたまっていた涙が流れたのを、女のひとの繊い指さきがそっとすくってくれるのを感じて、レジェはおさな子のように女のひとへすがった。肩をだいてくれる体温はあたたかく、なによりも安堵を少年に与えてくれる。
ハ.
「レジェさま、」
よびかけるパラに声をかえさないでいると、もういちど、こんどは疑問符つきで名前を呼ばれた。レジェは、うぅん、と声を鼻にかけてうめいた。
「あ、いろっぽい。」
パラがちいさくつぶやくのを耳にして、レジェの眼はいちどにひらいてしまった。
「おきた?」
パラは予想外のちかさから声をかけていた。しかも、あついと思っていた自分の頬に、彼女のちいさな手がある。
「……ここ、どこだ、」
「なに寝惚けてるの、この男。」
「…………。」
窓の外を覆い尽くすように緑生した斜面の色の濃淡が、水面に絵の具を流したときのように、窓にとけて流れている。汽車の轍をふむリズムが、たんたんと伝わってきて身体をゆらす。
「レジェさま、もうすぐ、ナ・バだって、」
「……そうか。」
だるい。ノドがかわいていた。つめたい檸檬水をのみたい。
レジェはふと思いついて、うしろの座席をふり見てみた。あるじのいない青いろの座席がいくつも並んでいる。汽車はいつの間にかすいていて、ほかのお客はほとんどみんな降りてしまったあとのようだった。
「レジェさま、もう降りて行ったわよ、」
パラは、レジェがある乗客をさがすためにそうしているのを見透かして、さきに教えた。そのまるい瞳が、どこかにつめたいものを宿してひかっていた。
「……ん、そうか、」
レジェは眼をこすりながら、急速に現実の世界へ引き戻されていくカラダを、重たそうにもてあました。
窓の外の斜面に、とつぜん土の地肌が露出している箇所がいくつか見えた。岩石が埋め込まれたようにとがった頭をさらし、そのざらざらした白さが褐色の中で際立っている。そんな斜面が尽きると、もうひろい平野だった。田畑とわずかな人家が通り過ぎていく。傾きはじめの日差しが空いちめんを白くみせている。
「もうすぐ、ナ・バよ。レジェさま、」
「……ん。」
「レジェさま、ナ・バからさきは、どうするの?」
「そのさきは……、どうしようかな。」
「どこでも仰ってください。わたし、レジェさまについてくだけだから♪」
「よく云うや。」
朱いろの瓦をのせた屋根の家が線路際にそろってきた。家々の向こうに海がみえた。小舟がうかび、岸壁に船小屋のならぶ港町の海面に、はやくもオレンジいろがまじってとけている。ナ・バからさきは、どこを廻ろうか。なにに乗ろうか。レジェはいろいろ想いをはせながら、ザックのなかに忍ばせてあった地図帳とタイムテーブルを見比べた。
夢は無限にひろがる。それが旅だ。
―――おしまい
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