|
レジェの旅 #104 相 客
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
湖畔の駅に鈍行はとまった。この駅でいつも汽車は、先頭をはしる機関車のつけかえのために、15分はとまるのだった。なんという名の駅なのか、標札がよごれて字をよめなかったが、レジェは前々からの経験で識っていて、パラの耳に駅名をささやいた。
レジェとパラは、4にん掛けの座席を向かい合わせに坐ってひとり占めしていたのだけれど、この駅からは乗客がふえる様子で、通路をあるく人足が騒がしくなってきた。さかんに空席をさがす目線もかんじたので、パラは腰をうかして、レジェのとなりにちょんと坐った。
そのふたり分の空席を目ざとくみつけた誰かが、荷物を投げつけるように座席に置いて、そのあとに自分が坐った。どっかりと腰を据えたその人物の、顔を見てみると、はちまきを坊主頭に巻いたおじさんだった。陽に灼けた顔がてかてかしている。荷物は大きなバスケットのような行李だったが、すっかり使い古していると見えて、編みこまれた竹の色も白くあせていた。
「おい、はよせぇ!」
あたらしい相客は、しきりに、もうひとりいるらしい同行者をよんで、急かした。
「おい、はよせぇ!」
耳のいたくなる大声だった。まわりの客の眼がこちらのボックスにあつまる。パラが、ねめつけるような眼付きでおじさんを見ているのがわかった。この少女には、そういう気のつよいところがあって、おとな相手でもひるむことがない。レジェはちょっとハラハラした。
「……あんた、荷物置いてあるんなら、そんな声ださんでもいいがいね、」
よごれた手拭いを首にまきつけたおばさんが、息をきらしながら、おじさんと同じような行李を背負って追いついた。おじさんは自分の行李を荷棚へあげて、そこへおばさんを坐らせた。おばさんは、かついできた荷物をひとまず通路のわきへ置いて、どっこいしょと腰掛ける。
「おまえのそれは、そのままそこ置いとけ。出すモンもあるからな……。」
「あんた、あんなデカい声だして、はずかしいがいね。……、」
ふたりは夫婦ものらしかった。レジェは窓の外へ眼をそらした。汽車はまだ駅にとまっている。ホームからみえる湖は、くもり空をうつして、白の絵の具をとかしたような、さみしい水いろをたたえていた。
「まだ出ないの?」
パラがレジェの耳にきいてきた。
「まだらしい。」
レジェはかぶっていた山高帽子をかぶりなおして、ため息とともにパラの手をはらった。
「あん、なにするのレジェさま、」
「……そこ、弱いから。」
パラが手持ちぶさたに、レジェの膝に指さきで字を書いていたのだった。
「なんて書いたかわかった?」
「知るか。」
――そのとき、ガクンと衝撃があって、車輛が前後にぐらぐらゆれた。あたらしい機関車が連結されたらしいことがわかった。
「おう、もう発車やな!」
おやじが大声をだした。
「おい、呑むから、……出せ。」
おやじが妻をうながした。おばさんはうんざりした顔で、行李のふたを開けて、なかから小さい瓢箪のような形をした壜をとりだした。レジェはひとめ見て、お酒だと思った。おやじは奪うようにそれを受けとった。
「あんた、一本だけやぞ。」
「わかっとる。」
おじさんはぶっきらぼうに云うと、慣れた手つきで栓をあけた。口をつけた。ぐびっと音をたてて呑んだ。
「くぁーーっ。こりゃ旨めぇ! おい、」
おばさんが、顔をしかめながらも、うながされるままに行李から小さな麻袋をとりだして、夫にわたした。おやじは袋に毛むくじゃらの手首をつっこんだ。中身は豆だった。つまりツマミということだろう。つかんだ豆を、ばっと口へ放り込む。豆は揚げて塩をまぶしたイカリ豆らしかった。
「旨めぇ! おい、」
おやじは、おばさんに袋をあずけるように寄越して、持たせると、自分はその袋に手をのばしては、豆をポリポリ喰う。そしてまた、お酒の壜に口をつける。また喰う。おばさんが豆をつまむことはなかった。困ったような顔で、夫を見ているだけだった。
おやじが息をはくと、酒精のにおいがただよった。レジェは居心地がわるくて、お尻がむずむずしてきた。前をみないようにして、とまったままの窓の外へ眼をそむける。
そうこうしていると、やっと汽車がうごきだした。
線路は湖からしだいしだいに離れ、見る間にせばまっていく谷へと汽車をいざなっていく。速度がおちてきた。旧式のスチーム機関車なので、坂をのぼっていく力がないらしかった。
「おい、」
壜をなめるように呑み乾してしまったおやじが、おかわりを求めた。
「あんた、一本だけやって云うたいね。」
「いいがいや。ほれ、」
おやじは、妙にニヤニヤしながら、おばさんの身体越しに行李へ手をのばそうとした。真っ赤な顔をした横顔がいやにゆるんでいた。吐く息のにおいが濃厚にただよってきた。
「まだあるやろいや、出せや。」
「それ着いてから呑むんやって自分で云うたやろいね。」
「なん。云うとらん。」
おばさんはしぶしぶ顔で、行李のふたを開けた。2本目をおやじに渡した。おやじはあやうい手つきで栓をあける。また呑む。そして豆を喰う。ぐったりと背もたれに寄しかかって、ほとんどまどろんだ表情になりながら、緩慢に口をうごかしている。すっかり酒が廻って、半分ねむりながら喰っているように見えた。
手のうごきが思いどおりにならなくなってきたのか、つまんだ豆がぼろぼろ床にころがり落ちる。レジェやパラの足許にも豆がころがった。おばさんが、豆の袋を大事そうにかかえたまま、かがんでひらった。そうしながら、目線でふたりに謝った。すまなそうな、バツのわるそうな、複雑な眼だった。
「おい、もう、ないんか。」
おやじが、妻に持たせた豆の袋をゴソゴソ手でさぐりながら、不明瞭な発音できいた。
「無いわいね。……みんな喰っちまって。どうするがいね。」
ほんとうは、目的地に着いてから、ふたりで喰うつもりだったのだろう。おばさんは、困った顔をしてなげいた。
「ほんなら、……さけや。さけ。」
「もう無いわいね。……1本め汽車で呑んで、もう1本着いてから呑んで、って自分で云うとったがいね……。」
おやじが、妻の口をふさぐように、よごれた手をかざした。
「酔いがまわって、酒呑んでやな……、」
おやじは、まわらない舌でなにか云ったけれど、意味は通じなかった。そして、言葉はそこで終えてしまって、おもむろに壜をかたむけて、さいごの一滴まで呑み乾してしまうと、ゴロンと妻に寄りかかって、いびきをかきはじめた。
ムッとする酒のにおいに、パラが眉をひそめていた。
谷が狭まって、線路際の樹木のあつまりも密になってきた。人家はめったに見えなくなって、峠が近づいてきたことがわかった。速度はますます落ちてきて、黒煙が車内にも吹きこんできた。いつもなら鬱陶しい蒸機の煤煙も、いまは酒のにおいをかき消すのにちょうど良かった。
窓の外のうつりかわりが単調になってきたので、レジェはチラっと目線をうつした。おばさんが、汚れた手拭いでしきりに目許をぬぐっていた。
―――おわり
|