レジェの旅  #103 土曜日のモカ

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 土曜日で半ドンなので、山高帽子を頭にのせてお昼すぎに中等科の校門を出ると、初等科のほうも同じ時分に終わったらしく、ちょうど待っていたパラにつかまって、それからふたり並んでぶらぶら歩いた。パラのリクエストにこたえて、いま南ウェスト・シティの絵画屋街をひやかしがてら散歩してきたところだ。
 もう秋で、すっかり涼しくなった。たかい空はぬけるように澄明で、蒼すぎるほど蒼い。パラもいつもはプリーツスカートなのに、きょうは七分丈のカーゴなどはいている。ぼくも、気に入りのインヴァネスを制服のうえへ羽織ってきていた。半年振りくらいで着ていると、ちょっぴりちいさくなって窮屈だ。あたらしいのを買うお小遣いを工面しなくてはならない。
 往きは街路を歩いて、帰りは路面電車アイ・トラムで戻る。これはぼくの提案。これっくらいのワガママは、聞いてくれたってバチは当たらないはずだ。そのかわり、新版の道路地図の入荷した書舗で立読みしたいという希望は却下となった。
 ヒユの花の植込みのある横町は、自動車アウトも通らず歩きよい。石畳の路面は2色のタイルで市松模様に組まれている。ぼくはパールホワイト、パラはチャコールグレイのタイルだけを踏んで、ひとあし跳びに歩いたりした。
 大通りへ出て、チャチャタウンゆきトラムのくる電停まで来たところで、パラがぼくの手をひっぱった。
「レジェさま、ノドかわかない?」
 栗色の前髪のカーテンのしたで、黒砂糖いろの瞳がぼくをうかがった。
 たしかに。あとそれ以上に、せわしなく歩いたのでちょっと一息つきたい気分。
 ぼくたちは通りの茶舗へはいった。

 舗は外にチェアをならべ、空のしたでお茶をのむというオープン形式だ。あらかじめ注文を精算しておく方式なので、注いでもらった飲み物は、どこへ持っていってのんでもかまわない。軽く廉い陶製のカップは、持ち帰ってもよく、そこらへ割って棄ててもよかった。もちろん舗のクズカゴへ返してもいい。ぼくたちはあついモカをそれぞれ淹れてもらうと、カップをこぼさないよう両手で持って、裏手にある公園パルケまで歩いて行った。

 広場のぐるりにはナランハの樹が密になって植わっており、その一本の根元ちかくにキューブブロック・ベンチがちょうど2つ並んでいた。そこへ腰をおろす。赤蜻蛉がモカのあまい薫りにさそわれるようにブロックへ羽根をやすめた。木蔭には秋告鳥の啼き声がきこえる。なかなか、いい場所だ。
 さっそく、パラが上唇をくろい液体へひたすようにしてモカをすすった。
「あつい。」
 舌さきをだしてつぶやく。けれど、そんなこと云って、この女の子にはあついものを好む習性のあることを、ぼくは知っている。一方ぼくはというと、本物の猫舌だ。だからカップを両手に、しばしその温もりと立ちのぼる薫りだけをたのしんだ。そのひとときの代価だって、値段のうちに入っているはずだ。
 そんなぼくに構わず、パラはひとくちふたくち、唇をつける。ノドがこくこく鳴った。
「よく、あつくないな。」
 おもわず、あきれ声が口をついて出た。
「レジェさまは、のまないの?」
「まだ、あついだろ、」
「さめたらおいしくないわ。」
「おいしくったって、口のなかを水ぶくれにしたくはないからね。」
「ふぅん、キイなこたえ。」
――キイなこたえ? ――貴意きい
 まばたきしながら、ぼくはその発音をはんすうした。――奇異きいか。
 ときどきパラは、そういうむつかしい単語をコトバの端に織りこんだりする。それこそ奇異だ。
――奇異ついでに、どうしてパラは、ぼくを“さま”付けで呼ぶのだろう。
 ふとしたキッカケで、ふだんは意識の海中に沈みこんでいて、けれど決して溶けないそんな疑問が、水面に浮かんでくる。浮かんできたら、もう頭からはなれなくなってきた。
 本当に。ぼくはサマ呼ばわりされるような偉人じゃないし、パラにとっての恩人でもとくにないはずだ。べつに身分の差なんてものもないし。年は上ではあるけれど。
 ちらっとパラの横顔をぬすみ見た。少女の唇が、モカのカップにとけている。しろいノドがこくっと動いたあとに、ちゅッと音をたてて、桜いろのつぼみが陶器の肌からはなれた。
 なにか、妙だ。いけないものを見てしまったような気がして、ぼくはあわてて目をそらした。けれど、残像が視界に転写されて、目蓋をとじてもそれはついてくる。
「どしたの?」
 問いながら、パラが指さきでぼくの腿のあたりをつーっとなぞったものだから、ぼくはマヌケな裏声とともに、手にしたカップをあやうくひっくりかえしそうになった。
「パラ! こぼしちゃうところだったじゃないか、」
「レジェさまがビンカンすぎるから、」
 そんなことを、この女の子は云ってのける。
「……まったくさ。」
 ぼくはキューブの坐面に土足をのせて、両膝を胸にかかえこんだ。そうしながら、そろそろ具合よくさめたモカを口にしてみる。あまい。
 公園パルケの芝生には、年少の児童たちが学具鞄をほっぽって、広場のほとんど全体をつかって蹴球に興じている。たかい声が、澄んだ空気にどこまでも響いた。仲間どうし、たがいを呼び捨てにしあう。それか、“○○くん”という呼び名が交じるくらいだ。まちがっても、“さま”なんて呼んでいる子はいない。
「――レジェさま?」
 パラが、ぼくの目の前に手のひらをぱぱっとチラつかせた。
「……なに、」
「レジェさま、考えごとでもしてた?」
「……ん。」
 考えごとにはちがいない。ぼくは横着にうなづいた。
「どんなこと?」
「どんなことって……、」
 ぼくが云いよどむそのあいだにも、パラはにこにこしながら続きを待っている。
「どうして、パラはぼくのことを“さま”付けで呼ぶんだ、ってことサ。」
「どうしてって、」
 パラはそれで、頸をひねってしまった。ほそい指さきを顎の線に置いて、逆に考えこむそぶりだ。考えるようなことなのかな、とぼくは思った。
「ぼくはさ、……“さま”なんて付けて呼ばれるほどエラクないよ。呼ばれてうれしいような人間でもない。」
 このあいだ、パラがぼくのことをサマ付けで呼ぶのをはたで耳にした上級生たちが、いい身分じゃねぇかとか、“さま”なんて呼ばせてよろこんでやがるとか、あともっとロコツなことを大声だして揶揄したものだ。あのときは、大いに気を悪くした。そういうことのあったのも、じつはぼくの胸の底にはあって、この呼び名をすなおに落とさずに引っかからせている。
「ぼくは……。ぼくはパラには……。……いてっ、」
 なんの前触れもなく、パラがぼくの赤毛をいっぽん引き抜いた。
 いきなりなにするんだ、と気色ばみかけたけれど、パラはそういうぼくの表情をみて特によろこぶような子だ。もうさすがに、そのくらいの習性はつかんでいる。ぼくは踏みとどまって、ポーカーフェイスをつくった。
「いまさら、いいじゃない。レジェさまは、レジェさま♪」
 唄うようにパラは云う。その声をBGMみたいに耳へおとしながら、目蓋をとじてモカをひとくち。舌がとろけるみたいに、あまい。けれどなぜか、ためいきが出た。
「わたしにとっては、“レジェさま”だから。だからそれでいいの♪」
 たのしそうにそう云いのこして、パラはモカのカップをかたむけた。一滴二滴くらいしか、もう残っていなかったようだけれど、それもおいしそうにすすってしまって、ふぅッと満足そうに息をついている。ぼくも残りを一気にのみこんだ。カップの底に粉っぽいダマがのこったけれど、そのうちのいくらかは液体にさそわれてすべり落りてきて、ぼくの口のなかにあまく広がった。
「レジェさま、」
「……ん、」
「呼びかたなんて、そう重要なことじゃないわよ。サマって呼んでもクンって呼んでも、そんなのは表面上のことだけで、わたしの内側からみたレジェさまがそれで変わるわけじゃないし。レジェさまも、それで変わっちゃうような人じゃないし。」
「…………ん。」
「わたしはこのほうが云いやすいから、こう呼んでるだけだし。ね♪」
 パラはのばした脚をぶらぶらさせながら、シューズのつまさきで石ころを蹴った。
 なんだかまた、初等科生らしくない単語を駆使しつつ、小鳥みたいなあかるい声して説いてくるので、そうかな、とほだされてきてしまって、ぼくは小さくうなづきかけた。すると、パラがぼくの鼻さきに“なにか”をくっつけた。カサカサつんつんした感触に、ひゃっと声をあげて、いきおいでケホケホせきこむと、“なにか”は羽根をひろげて飛んでいった。
――赤蜻蛉だった。パラはぼくのようすを見て、このうえなく喜んでいる。
 まったく。びっくりするから、そういうことはやめてほしい。



                                   ―――おわり






   05.11.04 脱稿

Mori Saketen.com

 


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