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レジェ・パラ #10「隧道とおばぁちゃんと」
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イ.
いくつかの隧道を抜けるうちに、ムキ出しの岩が峨々としていた山々も、いつしか緑萌える山麓の風景と変じていた。汽車道は険しい谷の底の渓流をみおろしながら、崖っぷちをひと筋けずりとってくねくね走っている。
もし脱線すればどうなるだろう。レジェのにぎった手のひらが、じんわりと汗にしめった。パラは平気な顔で外を見て、にこにこしている。
きぃきぃと細い音をさせて、汽車は停車場にとまった。レイルに沿ってつづく草むらのなかに、野ざらしの歩廊が忘れられかけたように伸びていた。狭い谷底に白く川の水がきらめくだけで、村らしい屋並みはあたりにない。
「ここ、なんの駅所?」
パラが小首をかしげてきいた。
「なんだろう。」
レジェにだって、わかる由もない。誰のためのものかとふしぎに思うような、絶壁の駅所だった。
客車掌の笛がかん高く鳴って、床下の機械心臓ががんばりはじめる。音響の高まりから、かならずひと呼吸おいて車体がうごきだすのは、どの駅所の発車でもかわらない。鋼鉄の重みが伝わる、ひとつの間だった。
「おばちゃんも、ここに坐っていいかいね、」
ひとりのおばぁさんが、レジェとパラに声をかけた。つえを手がかりに、腰のまがったからだをささえている。ちょうど4人掛け向かい合わせのボックスシートを2人で占拠していたところだ。パラがいいですよ、とほほえみかけて、自分のよこの空き地をぱんぱんとはたいた。レジェもどうぞ、と会釈する。
「おばちゃん脚が痛てね。どっこい、しょ」
しわくちゃの顔をしかめながら、同時にほころばせて、おばぁさんはちんまりとパラのとなりにおさまった。
「おばぁちゃん、もしかして、いまの駅所から乗ってきたの?」
元気よくパラがきくと、おばぁさんは、そうだよそうだよと何度もうなづいた。
「ほんとう? いまのところ、お家もなんにもなかったよ、」
パラがそんなことを云う。レジェは内心、失礼じゃないかと思ってハラハラしたけれど、おばぁさんは眼を細めながらやっぱりうなづいている。
「おばちゃんのお家は、停車場から離れとるがよ。ほれ、」
と、節くれだった指さきを山のうえのほうへさした。それにしたがって見てみると、ずっと見上げたさきの急な斜面に、木造らしい人家がいくつかしがみついている。建っているという表現は、ただしいとはいえなかった。夏に見る半翅虫のように、しがみついている。
そんな家々のうちのひとつに、おばぁさんの住む家があるのだという。レジェは、どうしてわざわざあんな場所に家を建てなければならないのだろうと心のうちで思った。
「おばぁちゃん、これからどこへいくの?」
パラがきいた。
「おばちゃん、きょうはうまい日になったさけ、お参りにいくがや」
「お参り?」
「ほうや、山ノ神さんへお参りや。お水とお神酒と持ってのう……」
「おばぁちゃん、えらいんだねぇ!」
「な〜ん、えらない。誰でも当たり前のことやちゃ。」
「そんなことないよ。わたしたちなんて、そんなこと何にもしないし、」
ぱちっとこっちを向かれたので、レジェもたしかに、と目をあわせた。
「おばぁちゃん、えらいし、それに元気だねぇ!」
「元気なもんかいね。脚も腰もまんで痛て、どんならんぞいね」
「えっ、“どんならん”って、どういういみー?」
パラがうれしそうに話しかけている。おばぁさんもたのしげにわらっている。レジェは、パラが幼い時分おばぁちゃんっ子だったときいたことがあるのを思い出した。まだ自分と出会っていないころの話だ。とうぜん、彼女のおばぁちゃんという人の顔は知らない。しかし、こうして2人のやりとりを見ていると、なんとなく想い描けるものがあった。
――それにしても、おばちゃんって云うけど、おばぁちゃんだよな、
おばぁさんのしわだらけな、けれどふっくらした手をなにげなく見て、レジェはボンヤリと思った。パラははしゃぎながら、車窓のいろいろを質問する。おばぁさんが訛りのあるむずかしいことばで、ひとつひとつ丁寧にこたえた。
2人の会話をききながしながら、頬杖をついて窓の外をみる。つかのま、ひとり旅の情感をよくもわるくも味わうことになった。人々の背景として空気のように存在する、傍観者としての気楽さと寂しさを。ふと、うしろのほうを振りかえると、あの女のひとが例のおじさんと、ふたことみこと会話をしていた。
はるか底にあった川の流れがだんだんたかく、つまり間近になってきて、深かった峡谷もいまやおだやかに裾をひろげてきた。汽車道も崖づたいの怖ろしい経路から、渓流に沿ったのどかな道のりにかわっている。
こんな変化をただながめているだけで、ぼくは楽しいのだ。レジェはそんなふうに自分を決めつけた。いつのまにか苦虫をかみつぶしたみたいに、むずかしい表情をつくっているのはこういうときだ。レールを踏み越える汽車の足音に歩調をあわせるように、自分の鼓動がどこかで揺れている。
「……って思わない? レジェさま、」
パラがふいになにか訊いたらしく、ふと我にかえった。
「えっ、」
「だから、いまのはなしよ。」
「いまのはなしって?」
パラは、もうッと頬をふくらませて、いちから話した。
「山ノ神さまっていう精霊さんが、女の神さまなのは、ちょっと意外って思わない? っていうはなしじゃないの、」
「……別に思わない。」
「なんで? 山だから男の神さまのほうがそれっぽいとわたし思う。」
「そう、」
レジェが頬杖をついたまま気のない相槌を打ったので、パラはぷんぷん文句を云って、あとはへの字で黙ってしまった。おばぁさんはなぜか嬉しそうにほほえんでいる。
「坊やちゃん、ほおづえをついとったら、精霊さまがふーーーんって、あっち向いて行ってしもうぞ」
おばぁさんが、手にしたつえで床をトントンつつきながら云った。
「セイレイさま?」
「おいね。山ノ神さまや。元気で、だれにもニコニコできる子が、山ノ神さまはお好きながやぞ」
「ふーーーーーん」
レジェは面白くなさげに、天邪鬼の唇をとがらせた。もともと愛想笑いなんてすきじゃなく、だいいち神さまだって本当にいるのかどうかマユツバだ。そう思っているし、シティではそう教えられてもいる。
「すいません、こういう男なんです。」
パラがそんなことを云いつつ、ふかぶかと頭をさげるマネをしてみせた。どういういみだ、とレジェがねめつける。その視線のさきに、にやっと笑顔があった。その裏側にまたなにか意味あいが含まれているのかと考えて、けれどそれがハッキリつかめず、なお憮然となる。
そのようすを見て、パラが笑いごえをこぼした。
「レジェさまコドモみたい、」
「こどもさ、ぼくはどうせ」
レジェは首のうしろで手をむすんで、ぱすっと座席にもたれながら。そっぽを向いた。たしかにこれはコドモっぽいなと自分でも思う。けれどどうもなにか、今日はどこか甘えてしまうようで、甘えたい気分だ。しかたがない。自分には、祖母なんていなかったのだから。
「すいません、こういう男なんです」
パラがくりかえし同じことを云う。おばぁさんも、ほっほっと手を添えてわらった。
――こういう、“おとこ”、か……。
レジェは少女のそんな言葉をなぜかひろって、まんざらでもなさそうに舌のうえでころがしていた。
うしろのほうの席に掛けた女のひとの声が、風采のあがらなそうな声のおじさんを相手にして、楽しくはずんでいるようにきこえた。
▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽
ロ.
春の花が月あかりの色をたたえて揺れている。わき水が細い滝になって、崖の下の岩を流れ落ちていた。そんな尾根伝いに走っている。汽車は高度を上げながら丘をやりすごし、小川をちいさな橋でがたがたと渡った。
「おばちゃんの若いころは、背中に荷物しょってかって、こんな道をずぅーーーぅっと歩いて行ったもんやぞ。」
車窓の合間に、おばぁさんは夢を見ているようにウトウトと云った。
「こんな坐っとるだけで遠くまであるいて行けるなんて、おばちゃん、夢にも見なんだ」
「汽車は魔法のつえみたいなものね、」
パラがおもしろいことを云う。
「ほうやほうや、汽車がこのバァバのつえのかわりに歩いてくれとるわいね」
おばぁさんが、つえを持つ手をゆすっておどけてみせた。パラが、あははと笑う。レジェもなんだかたのしい気分になって、白い歯を見せた。
「あっ、隧道!」
パラが指差すので、レジェもうしろを向いた。進行方向へむかって坐っているのはパラとおばぁさんのほうだ。
山肌が行く手に迫り、その中央に、くろい口がぱっくりと開いている。ばんッと空気の膜をやぶるみたいな音と衝撃を伝えて、汽車の先頭がそこへ突っ込んだ。あとは闇のなかで、轟音が車内に響き渡るだけだ。
汽車は力強い音響とともに、洞穴の空気を引き裂いていく。ときおり、シャランシャラランとレイルの継目の音。前から後ろへと飛び去る瓦斯灯のあかり。
きれいだ。そう感じながら、何気なしにおばぁさんのほうをちらっと見て、レジェはぎょっとした。
おばぁさんは両の耳を手でギュッとおさえて、うずくまるように身を屈めている。顔をしかめて眼をつむり、ただごとではない様子だ。
あわてて、どうしたのかたずねようとしてそれができず、パラと顔をみあわせた。
パラがおばぁさんの肩をゆする。どこか痛いのときくと、心配ない心配ない、と丸い肩をゆすって応えた。
耳をおさえたまま、おばぁさんがまたなにか云ったようだったが、闇を切り裂く反響音に、こえは千々へと散ってしまう。レジェもパラも、おろおろとおばぁさんを窺がっていた。
そのうちに、明かりのカーテンを抜けて隧道が尽きた。嵐のような音響がしずまり、さっきまでの平穏な律動が車内に戻ってくる。
おばぁさんが、耳にあてた手をおろして、ふぅっと息をついた。
「――だいじょうぶ、なの?」
レジェが心配顔で訊いた。
「あら大丈夫やって、おばちゃん隧道が怖ろしいだけやって、あんだけ云うたがいね、」
えっ、とレジェはききかえした。
「……怖いだけ?」
パラが目蓋をしきりとしばたかせた。
「馬鹿にして。怖いもんは怖いがや。」
もうすっかり大丈夫なようすで笑顔をとりもどしたおばぁさんが、すこし早口で云った。
「おいね怖ろしいぞいね。あんたら怖ろしいと思わんけ? 山のなかを、人が穴を開けてかって、走っとるがよ。――右も左も、頭の上にも、土や石が詰まっとるがやぞ。ほうやさけ、山ノ神さんもお怒りになって、あんな怖ろしい音を出しておいでる。」
パラが、ぷッとふきだした。
「それ。汽車の走っている音じゃない、おばぁちゃん」
「まぁ、そうとも云うわいね。」
おばぁさんがこどもみたいに舌をぺろりと出した。レジェはほっとして、車窓に眼をうつろわせる。
――なるほど、隧道は、怖いものか。
考えてみると、たしかにそんなような気もしてくる。夜を走っているようで、そうでない闇。その闇のまわりじゅうが、山という巨大なモノの身体でできている。それが隧道である。
「ほやけど、いまは、こんながにして簡単に隧道くぐっとるけど、ちょっこり前はひどかったがやぞ。蒸機式のころやけど。――」
おばぁさんは、神妙な顔つきになって、静かに語った。
運転する人が隧道で自分の汽車の煙にまかれて亡くなったというその事故の話は、レジェも耳にしたことがあった。ここ10年くらいのあいだで市井の文明はあきれるほど急速に発達し、それも昔語りにすぎなくなったようだけれど。
いまに、こんな年寄りでも平気な顔で汽車に乗れる時代がくるんかねぇ。怖ろしい世の中や。おばぁさんははなしのおわりに溜息をひとつ置いて、それをおしまいの合図とした。
谷あいのチシャ畑に家並みが建ちはじめ、機械心臓を休ませて惰力のままにすべっていた汽車が、にわかに速度を落としはじめている。つぎの駅所が近そうな気配だった。
「さぁ、おばちゃん次で降りっぞ。」
おばぁさんが、重い腰をあげるようにそう云った。
あぁ、おわかれだな、と思う。おなじ汽車のおなじ席に坐っただけで、おたがい名前も知らないけれど、汽車が走る限りいつか行きつくこういう場面は、いつでもどこか寂しい。
「あんたらは、まだ降りんが?」
「まだ降りません。」
パラが、いかにもしょんぼりした顔でこたえた。
「どこまで行くが?」
ナ・バまで、とほとんど2人同時に云うと、おばぁさんは口をぱくぱく開いて、声は出さずになぜかしきりにうなづいた。
「ナ・バの街かぁ! おばちゃん、ほんなとこ行ったこともないわいね。ありゃ〜。おとろしい子らや。ほうかほうか、」
おばぁさんが、やにわに手をさしのべて、パラの手をにぎった。パラが、えッと小さくこえをあげる。ゆっくりと手のひらが開かれると、そこにちいさく折り畳まれた紙片があった。翠色のインクで刷られている。おかねだ。もっとも高額な紙幣だった。
「それでこのばぁばのぶんまで、いい旅行して来いや。」
もったいないです。と、レジェとパラがこもごも首を横に振ったが、おばぁさんはしわだらけの白い手を振りながら、
「わたしのな、孫のぶんや。孫のぶんや。はよポケットにしまお、」
と、それだけ云った。
窓の外をうつろう風景がだんだんその動きをにぶくさせ、やがてうごかなくなった。停まったのは、さみしい駅所だった。粗末な駅構舎はすきま風の吹きこみそうな古い木造で、窓のいくつかは板で塞がれていた。おそらく乗客を扱う駅吏などいないと見える。歩廊の砂利のあいまにも、土の地肌と雑草が顔を出していた。あんな崖っぷちの小さすぎる駅所から、やっぱり小さなこの駅所へ。おばぁさんはそんなふうに往復して、どんなささやかな営みを送っているのだろうか。
降りじたくをするおばぁさんのつえを、パラがとってあげた。
「おぉおぉ、あんやと、あんやと。かたい子や。あんやとね。気の毒な。」
なにが気の毒なのだろうと2人して顔をみあわせたけれど、まぁこの辺りではなにかいい意味に使う言葉なのだろう。
ばいばい、さよなら、おばぁちゃん。
レジェとパラはかわるがわる手を振って、つえをたよりに出入台へと向かうおばぁさんのまるいうしろ姿を、じっと見守った。
―――続く
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