レジェ・パラ  #9「汽車のたび」

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


  イ.

 ドライ線は、延長200kmケームを数える長い路線だ。国有ではなく私設の鉄道線レイルウェイで、北西のグーバーバルよりトナザリナを経由し、東の海岸へと一条の轍を成している。終点はナ・バの駅所ステーション。古くから外海と交流のあった港町である。

 トナザリナの駅構舎は、朱や紺碧や銀白の顔料をブロックごとに塗込めた煉瓦棟だった。そのてかてかする彩りが、かえって街の相貌にとけこんでおり、色彩の街トナザリナの面目がここでも躍如としている。
「こっちこっち、レジェさま!」
 栗毛の女の子が、街の角からこの重厚な建物を見つけるや、はしゃいだ様子でその門口へと駆けた。真珠のような光沢のある雪いろのブラウスが、はずむからだを薄くつつみ、揺れている。
 そのあとを、山高帽子の少年が困ったような顔をしながら追った。
「おい、まてってばパラ!」
「レジェさま! ぐずぐずしてちゃ、」
 女の子は駅構舎のまえで立ちどまり、少年はやっと追いついたとばかりに、前かがみになってインヴァネスの肩をはぁはぁ上下させた。帽子とおなじ臙脂いろのインヴァネスの下は、紅いリボンタイを結んだカッターシャツ。子供らしい膝丈の半ズボンに、頑丈そうな編上げ靴。背伸びしつつも、どこかに幼さを残している。そんなことを思わせる恰好だった。
「いきなり走るなよな、」
 少年が抗議の眼を向けるが、女の子は無心に笑って、建物のどっしりした威容をたのもしそうに見上げた。
「トナザリナえきしょ、」
 破風に掲げられた表札を、そう読み上げる。
「トナザリナ駅所ってここね、レジェさま、」
「ああ、」
 レジェと呼ばれた少年は、すこしウンザリしたような表情を見せながらそっけなくうなづいた。山高帽子をパタパタあおいで風を入れ、また被り直す。今日はあったかい。もう春なんだと思う。
 2人が仲良くなってから、もうずいぶんになるのだが、レジェにはいまだにこのパラという女の子がつかみきれないでいるところがある。それが、2人で遊んだり今のように旅行したりするときの障りになるわけではないし、それで良いのだと思ってはいるのだけれど、こういう風な突然の気まぐれに当惑させられることもしばしばなので、その部分では手を焼いていた。

      ▼  ▽  ▼  ▽  ▼  ▽  ▼  ▽

  ロ.

 門をくぐると、エントランスの奥、改札のラッチの向こうに、汽車道の敷かれた駅庭ハーバーがあり、そこに淡い煙をたなびかせながら汽車が停泊していた。
「わ、汽車!」
 パラが、眼をかがやかせて指差す。
「レジェさま、はやくのろっ♪」
「パラ、」
 くるくるの髪の毛をふわり舞わせて駆け出しかけたパラのブラウスの裾を、レジェはぴッと引っ張った。
「やん、のびちゃうよレジェさま、」
乗車券チケを買わなきゃさ。」
 汽車レイルウェイに乗るには、あらかじめ切符チケを買わなければならないのだ。左手にずらりと並ぶ窓口に、いくつかの行列ができている。パラがそれを一瞥して、桃いろの唇をとがらせた。
「めんどうなのね、」
「鉄道は兵器でもあるからさ。厳正なんだよ」
「ゲンジューってこと?」
「――そういうことよ。」
 同時に肩をたたかれて、2人ともハッとして後ろをふりかえった。
 背の高い女のひとだった。北方系の肌触りの良さそうな生地で織った清楚なワンピースを着て、銀色の眼鏡をかけている。やさしい笑みを口許にたたえていた。
「わたしちゃんは、汽車に乗るの初めてなのかしら?」
「あ、はい。はじめてです、」
「そう、それじゃ、たのしみね」
 パラがハキハキした声でこたえたので、女のひとはうれしそうに微笑んだ。白い頬が澄明に透きとおり、ほのかにあわく桜色が溶けている。そこにさらりとかかる、細い亜麻色の髪。レジェがおもわず見とれていると、女のひとは目線を移ろわせ、
「ボク、あなたも?」と訊いてきた。
「――、ぼく、はじめてじゃないです」
 レジェはすこし不機嫌そうな早口でかえした。“ボク”よばわりに気を悪くしたのだった。けれど、女のひとはやはりやさしく笑って彼をみている。
「乗ったことあるの。すごいのね。お父さんかお母さんに連れてってもらったのかしら、」
「いいえッ、」
「あら、そうなの?」
「ひとり旅で、乗ったんです。」
 レジェはむりに低い声をだして云った。
 女のひとは、まぁひとりで。それはとすごいのね。りっぱだわ。と感心した風に何度もうなづいてから、レジェの帽子のてっぺんをぽんぽんとなで、インヴァネスの背中のホコリをさっと払ってくれた。
 レジェは面映くなって、おもわず俯いてしまった。耳の辺りがちょっとあつい。
「きょうはいっしょにご旅行? 仲のいいご兄妹ね、」
「ごきょうだいじゃないです」
 パラがこたえた。
「あら。……じゃ、もしかして、いい仲なのね?」
 レジェはびっくりして女のひとを見あげた。意味シンな笑みをうかべて、2人を見くらべている。
「とっ、ともだちですよ、」
 おもわず大きな声がでた。あわてて云ったので舌が回らない。声もうわずっていた。
「そう。いいおともだちなのね。」
 女のひとはレジェににこりと笑顔を向けて、それからパラに、
「あなたも苦労するわね、」
 と、ちいさな声で云った。そうして、やさしい手つきで彼女の栗毛を撫でる。長く、細く、白いその指が、たおやかにパラの髪をとかす。あまいにおいがふっと舞う。パラと並ぶと女のひとの背のたかさが際立った。すらりとしなやかな長い脚と、パラのかわいらしい小さな脚が、親子のように向かいあって伸びていた。
「じゃ、お先にごめんなさいね、」
 女のひとはそう云い残して、改札を出て行った。すっすっと流れるように、端麗なうしろ姿をみせて歩く。大人なのだ。その姿態を、少年はすくんだように身動きしないまま、見つめていた。
「レジェさま、わたしも苦労するわね。」
「えっ?」
 パラはそのままパッと背を向けて、つかつかとした歩調で窓口のほうへ歩いていく。レジェはまたもや早足でパラを追いかける羽目になった。

      ■  □  ■  □  ■  □  ■

  ハ.

 駅員は細かなプツプツ穴が開いた硝子の向こうで、手際良く切符チケを取り出しては素早くスタンプを捺し、開口部へすッと滑らせている。2人が行列の最後尾に並んでから、そう待つほどもなく順番がきた。
「おとな1枚、こども1枚」
 と、レジェは告げた。初等部の修了した子供は大人料金である。
「おまえさん、身長は?」
 なかの駅員が少し首をかしげながら、ぶっきらぼうに訊いてくる。
「えっ、146cmですけど……、」
「なら、子供料金。」
 駅員は黙って棚から切符を引き出して、それにスタンプをポンポン捺す。レジェはそうか、と納得しながらも、やはりおもしろくなさそうな面持ちで硬貨と紙幣を差し出し、ひきかえに滑り出てきた2枚のチケを手にした。
「こども2枚だった。――身長で値段を決めてるんだよ」
 パラに1枚を手渡しながら、レジェはふてくされたように云った。
「やすくすんでトクしたじゃない♪」
「……まぁ、……そうだけど」
「だいじょぶ、すぐにのびるのびる♪」 
 パラがレジェの腕にまつわりついて、躁病になった仔猫みたいにはしゃぐ。
「……まったくさ、」
 コイツよりはオトナだよなと、少年はためいきをついた。

      ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

  ニ.

 駅庭ハーバーは広かった。何10本ものレイルがだだっ広い構内に所狭しと敷かれ、そこに小島のように浮かぶ歩廊は2、3どころではない。あちこちで、長かったり短かったりする汽車がグルン、グルン、グルンと息を整えている。ちいさな蒸機スチームに引っ張られてねぐらへひきあげていく汽車もある。四角な箱をいくつもつなげた貨物列車も停泊している。汽車はそのどれもがチョコレート色の地味なペンキで全身を塗られていた。
 カラフルな色に溢れたトナザリナの街と駅構舎だったが、この駅庭にはそれがない。レイルはつやつや白く光るだけだし、その下の砂利は鉄の錆びた赤色に染まっているだけだ。ここはトナザリナにあってトナザリナではなく、他の街と繋がった、ひとつの長い長い延長線上なのだ。
 乗る予定のナ・バゆき上り普通列車は、4番標識の歩廊に停泊していた。終点まで走る便なので、編成は長い。レジェはとまっている汽車の列を追うように歩廊を歩き、先頭まで廻りこんだ。
 汽車に牽引車は付いていない。蒸機が引っ張るタイプではなく、一両一両ごとに機械心臓を埋め込んだ最新の型のようだった。
 北辺の細道にこんな新式のヤツが走っている。それがレジェには不思議に思えた。王国指折りの街であるウェスト・シティでさえ、遠方から乗り入れてやってくる汽車の中にはまだまだ蒸機式が多い。というより、機械心臓式は主要な幹線と短距離の通勤路線くらいにしか無い。なのになぜ、と首を傾げる。この辺りは機械心臓の燃料エサがよく採れでもするのだろうか。
「キョーミシンシン、」
 レジェがむずかしそうな顔をして見ていると、パラがくすりと息をもらしながらそう云った。
「なに?」
「おとこのこねぇ」
「なにがさ、」
「レジェさま、汽車ぽっぽにシンケンな顔して、」
「――――。」
 レジェは心外そうに汽車から眼を逸らして、来た道を戻りかけた。パラが、ふふふっ、と鼻を鳴らす。
「……レジェさまのそういうとこって、――」
 パラが云いかけたちょうどそのときに、向こうのホームで大きな汽笛がぴぃぃぃっと鳴って、2人の耳をつみさいた。貨物列車の連結器がガチャンと大きな音をたてて噛合う。
 一瞬心臓をやぶられたけれど、音の正体がわかればなんでもない。気をとりなおして、また歩きだした。
「ぼくのどういうところが、どうしたって?」
 レジェが訊いた。
「……さぁ、どうしたんでしょう、」
 パラはちょっとかかとを浮かせ気味にレジェの山高帽子をぽんぽんたたきながら、たのしそうな足どりで彼の隣に並んで歩く。
 少年はポケットに手を突っ込んで、やけくそみたいな猫背になって歩いた。
「なんだか、ばかにされてばっかりだな、今日って日は!」
「ばかにしてないの。からかってんの♪」
「――――――。」

      ▽  ▼  ▽  ▼  ▽  ▼  ▽  ▼  ▽

  ホ.

 2人は編成の中ほどの一両に乗った。4人ずつの対面座席に向かいあって掛ける。床下から、カランカラカランと機織り工場みたいな物音が響いている。
 座席の足元に、金属の出っぱりが壁に沿ってずっと通っている。排気煤煙をくぐらせるパイプが中に入っているのだろう。熱気を伝え、小刻みに律動するそこに、レジェは片足を載せた。
「おぎょうぎ悪い、」
 パラがにやにや笑みを浮かべながら指摘すると、
「これが正しい乗り方さ」
 レジェはそう云って、平気な顔をしている。
 やがて、ベルがジリジリジリとかき鳴らされて、駅員の吹く笛がぴぃっと鳴って、車は心臓音をとどろかせた。しかしすぐには走りださない。高まる鼓動の音響に少しおくれて、ガタンッと驚きわななくように車体が揺れ、それからようやく、ゆっくりゆっくり動き出す。床下がゴロゴロと鳴き、シートを通して背中に振動が伝わる。
「これ、汽車? 乗合自動車オムニバスみたいね」
「牽引車が引っ張る式じゃない、最新のヤツなのさ」
 窓の外で駅庭の歩廊が一本の線と流れて尽き、レールの束が一本に収斂すると、ガリガリ、ゴキッと歯車の噛む音がきこえて、そうかと思ううちに床下がにわかに激しく唸りだした。汽車はぐんぐん速度を増す。ガタピシと上下左右に身体が揺さぶられ、窓の外の家々がすごいはやさで吹き飛ばされる。機械心臓が屋根上へ吐きあげた油煙が車室内に舞い込み、うっすらこもってくる。
「くさい、」
 パラが鼻を手のひらで覆って、顔をしかめる。
「ガスのにおいだよ。一両一両に機械心臓があるからね」
「レジェさま平気なの?」
「そりゃあ、蒸機式よりよっぽどマシだからね。ケムリは。」
「ふーーーーーん」
 車窓から街並みが途切れ、山ぎわにかかった。
 鉄の轍が自然を踏み越え、ただ前へ前へ、まえへ続く。河や谷を鋼鉄の骨組みでできた橋で渡り、ゆく手に峨々とした岩山が現れれば右へ左へすり抜けるようにかわし、それもできないほど廻りこまれると、切通しと隧道でえいとばかりに打ち抜く。
 遷りゆくけしきに、パラもしきりと視線を移ろわせているようだったが、長い隧道に入ると興奮を持て余したと見えて、ふぅと一息ついた。
「このあたりから隧道の連続ですわ、」
 と、どこかから女性のはなし声がきこえた。ひとつ斜めうしろの区画からのような気配だった。
 レジェは、闇の鏡になった窓硝子越しに、声の主の顔をチラと見た。眼鏡をかけた、あの女のひとだった。
「ここのところ出張や学会で、よく乗るでしょう。だからもう憶えてしまいましたのよ、」
 つやっぽく、それでいて凛と清々しい声に気品がある。さっきとは声の調子がまるでちがうようにさえ聞こえた。おとなが相手なのだろう。
「さすがですなぁ」と、おじさんの答える声がした。
 話し相手は女のひとの向かいに坐っているらしく、窓の鏡面ごしにその顔は見とめられないが、映りこんだシートの陰に、パナマ帽とその下に銀髪がわずかにのぞいているようなのがわかった。
「先生は、やっぱり、いろいろ出張で、お忙しいでしょうから、」
 おじさんが、まるで息切れでもしているように所々つまりながら云った。“先生”と呼ばれたのはあの女のひとらしい。もしかして他の話し相手でもいるのかと見据えても、やはりボックスに向き合っているのは2人だけだ。なんの先生なのだろう、とレジェは思った。
「いつも、トナザリナまで、ほら、長旅でしょう。先生も。いやぁ、ご苦労さんですなぁ」
 おじさんがやっとやっとで云い終わった。どこか胸でも悪いのだろうか。ぜいぜい息をしている。声のわりには高齢なのかもしれない。
「たとえ出張でも、旅行気分で楽しいものですよ。」
 女のひとがにっこり笑った。さっきの駅所での表情が、二重写しなってよみがえる。
「いやいや、楽しきは麦酒エール、苦しきは、旅路ですわい」
「ほほっ、熱砂の国の格言ですね。でもわたくしはにごり酒にして下さいません?」
「かはははっ、トナザ流、トナザ流のアレですのう」
 おじさんがかわいた声で笑った。
「しかし先生、今のこの汽車でしたら、馬車の頃より、ずいぶん、楽に、なりましたでしょう」
「あら馬車だなんて。わたくし、そんな歳じゃありませんわ」
 女のひとは穏やかな笑みを口許に浮かべながら云ったようだったが、おじさんの方では相手を怒らせたとでも思ったのか、もうそれよりあとへ言葉は続かず、会話はなくなってしまった。
 そのうちに長い隧道が尽きた。女のひとを映していた鏡は一変して、翠色の見えるようになった山稜を素通しにした。
「ねぇレジェさま?」
 パラが、大きな眼でレジェをのぞきこむ。
「なに、」
「いま、遠い眼してたわね、」
「――え?」
「隧道のカベを見てる眼じゃなかった」
 レジェは首をかしげたが、すぐに、いまはもう映っていない女のひとの相貌が窓に浮かんだ気がして、困ったように俯いた。
「よく見てるでしょ?」
「――――。」
 レジェは返事のしように困って、目線を板張りの床へ落としたまま、編上げ靴の紐をいたずらに結びなおした。片足を出っぱりに載せているので、半ズボンの裾から膝がしらがごつごつした顔を突きだしている。パラがそこへやわらかな手のひらをぺたっと乗せてきた。膝小僧のくぼみをひんやりとなぞる。
 レジェはびくッとして、パラを上目遣いにねめつけた。
「………なんだよっ、」
「おとこのこねぇ、」
 と、パラが云った。そうして、
「云っとくけど、あのヒト、けっこうトシよ。」
 耳元にそっとささやく。
 ごぅっ、と風圧が窓を押す物音がして、汽車はまた隧道に入った。レジェはこんどは窓のほうを見ずに、あちこちほかのところへ目先を泳がせた。そのうちに、ふとなにかの拍子で視線がパラのふくらはぎのあたりに留まる。あわててぱっと逸らしたけれど、しかしどうしてそうしなければならないのかと、レジェには自分で自分がなさけなく思われてきた。
 パラはにこにこ笑っている。隧道は今度のほうが長いんですよ、と後ろの方から女のひとのはなし声がした。


  

       ――続く




   ・ #10「隧道とおばぁちゃんと」へ



   05.05.20 脱稿

Mori Saketen.com


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