レジェ・パラ  #8 イゝヅ亭の朝

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 赤庭鶏トリの鳴き声が盛んにきこえ出す。
 夢が醒めてからも、しばらくそのまま閉じていた目蓋を開けてみると、ブラインドの隙間から朝日が差し込んでいた。
 枕元に置いた懐中時計の針が指すのは、ロゥの刻。
 レジェはもう起きることに決めて、うーッ、と伸びをした。
 前の晩の夜行乗合自動車セセバル号で眠れなかったせいか、よく眠れた。旅疲れだった身も骨も、温泉とふかふかベッドで、すっかり回復したみたいだ。
 男の子にしては少し長めに揃えてある赤毛を、軽く指で梳いてみる。寝癖の酷そうな触り心地。けれど彼は構わない。それは深くしあわせな睡眠の代償だろうと、そう思えた。
 寝台から身体を起こし、フローリングの床に素足をつける。
 パラは起きてるかな、と思う。
 彼女が云い出したのかエルガン氏の配慮か、それは分からないけれど、部屋の真ん中を厚手のカーテンが仕切っている。レールが作り付けになっているのを見ると、お客さんが多い時節に相部屋をつくるためにでも使うのかも知れない。
 夜行のときは隣同士で寝たのに、と思えば、どうも持って回った対応をされたみたいで面白くなかったが、もっともレジェとて段々と男という自覚を身につけつつあるから、その点で気兼ねしないことには安堵した面もあった。
 そのカーテンが、ヒラヒラと揺れ動く。同時に寝具の衣擦れの音。
「起きた?」
 布の向こうへ、レジェが問う。
「まだ開けないで」
 なんだかトゲトゲした声で、パラがかえした。
「今日はナ・バの街まで汽車レイルウェイだからな」
 合図は返ってこなかった。
 ニスの照るフローリングが、朝の裸足に冷たい。
 あいつ寝起きって悪いんだっけ? と思い返してみるが、そんな気もしない。
 おんなのひとは、ひと月に一度、調子のよくない時がくるらしいけれど。そんなハズもないな、とレジェは顔を熱くしながら打ち消した。


 朝食は、ゆうべと同じく食堂で夫妻と一緒だ。
 「朝から腕が鳴りました」と、エプロン姿のエルガン氏。寝ぼけマナコで、というか二日酔いにぼける眼でコーヒーをすすっているのは、夫人のカーラ女史。そして、真心の透けて見えるような朝食が、明かり取りからのやわらかな朝日を受けて2人を待っていた。
 パラがゆうべと同じ席に腰掛け、その隣にレジェが坐った。
「おいしそうだな、パラ」
 レジェが、盛んに急かしてくるおなかをなだめながらパラに同意を求めると、 パラは抑揚なく、
「そうね」とだけ答えた。
 どうもパラ、ヘンだ。
「朝から食べ過ぎんなよ?」
 レジェがからかい気味に云うと、
「あっ、エルガンさんありがとうございます」
 パラはレジェにはそっぽを向いて、カップにコーヒーを注いでくれるエルガン氏に笑顔を見せた。
「……なぁパラ、」
「わぁいい香り」
「…………なぁ、」
「わぁ、いいお味!」
「………………おぃ、」
「……なに?」
 パラは眼も合わせずにゾンザイな返事をした。さすがにレジェもムカッとくる。
「……なんか今日機嫌悪い?」
「知らない」
「………………。」
 ためいきをひとつ呑み込む。
 コーヒーをひとくち。熱い。舌を慌てて引っ込める。その舌先に深い味が残っている。たしかに「いいお味」だ、と思う。
「お先に召し上がってください。私はさいごの料理を調えてから席に着かせていただきますので」
 パラの不機嫌はしょうがない。おなかが減って、機嫌が悪いんだ、ということにでもしておいて、とにかく朝食が始まった。
 では、いただきます。
 野菜スープをひとくち飲むと、その薄い塩味が、胃にやさしく染み渡る。
 お皿に山と盛られた緑色の小さなつぶつぶは、大魚の卵パーピンだろうか。スプーンですくって口にすると、歯と歯の間でプツとはじけ、小さななかに濃縮された味が口のなかに広がった。山に囲まれたトナザリナで、思いがけず出会った海だった。
 しかしパラは手を付けようとしない。色の黒いパンと馬鈴薯のゆでたのと、青菜のおひたしばかりぱくついている。
「パラ、これ食べないの?」
「だって、」
 レジェは、幼な子に教えるみたいに、ぱくんと食べてみせた。
「こんなに美味しいんだぜ、ホラ」
「ものを口に入れたまましゃべらないで」
 そんな風に、つーんと返される。
 レジェはパラの耳元で、
「ちゃんといただけよ。悪いじゃないか」とささやいた。
「だって気持ちわるいじゃない。青ガエルか何かのタマゴみたい」
 そんなとんでもないことを声高に云うので、レジェは背筋が寒くなった。エルガン氏はちょうど厨房だが、カーラ女史がいる。
「食べてみろって。美味しいぞ」
 と、慌てたように云った。
「なら、レジェさまがみんな食べちゃえばいいわ」
「パラー!」
 いよいよレジェの堪忍袋も限界かと思われた。いったい今朝に限ってなんだ。きまぐれにもほどがあるぞ。どこから怒鳴ればいいものか、彼の唇がわなないた。
 と、
「心配ご無用ですよ」
 エルガン氏がさいごの料理を盆に戻ってきて、物腰柔らかに笑った。
「手を付けない者は、もうひとりいますから」
 黒パンを野菜スープに沈ませて、それだけを黙々と食べていたカーラ女史が、亭主をジロリと見やった。
「このように……、トナザリナでも苦手な者は多いのですよ。私は大好物ですがね」
 新たな料理が、パラとカーラ女史の前に置かれた。黄色のふんわりした木の葉の形。玉子焼きオムレッツである。
「苦手な方のための特別料理です。タマゴはタマゴでも、赤庭鶏の玉子です。これならいかがですか」
「わぁ、オムレッツ大好きですよー。ありがとうございますー!」
 にわかにパラの顔じゅうが笑顔にはち切れた。飛びつくように、ぱくんと一口。おーいしー。ほっぺがふくらむ。
「すごい美味しいですねー。ふつうの玉子焼きとゼンゼンちがって! ケーキみたい」
 さっきまでの不機嫌面はどこへやら、エルガン氏に愛敬たっぷり花を開く。けれど、そういう気まぐれな子だ。レジェはすっかり安堵して、
「ちょっとわけてよ」
 と頼んでみた。すると、
「やだ」
 こどもじみた挙動でお皿を取り上げられてしまった。
 少年は恨めしいような目付きを隣席へ向ける。
 パラは気を取り直してとばかりに、ぱくぱくと幸せそうにオムレツを頬張っている。『頬張る』という言葉そのままだな、とレジェは思う。ほっぺたは確かにぷっくり膨らんで、そのまま落ちそうなくらいだ。『ほっぺが落ちる』とは云い得て妙だと、レジェは感心した。
 そんな風にじっと見ていると、パラが視線に気づいて、大袈裟にそっぽを向いた。心嬉しげな表情も、そのときだけは反故にして。
「……強情」
 レジェは小さく毒づいて、やけ酒ならぬやけコーヒー、とばかりにぐっと飲んだ。そろそろ冷めてきたので、さっきより多く口に含める。砂糖控えめのようで、ちょっと苦かった。
「まぁ、レジェ君。我々はご婦人方のわからぬ味で、舌を楽しませましょう」
 一部始終を静かに見守っていたエルガン氏が、苦笑しながらつぶつぶの皿を勧めてくれた。
 お皿に盛られた緑色の小さなつぶつぶは、一見して大魚の卵パーピンのように見えたものだが、じつはこれが木の実なのだという。
「山にある海の味というわけですな。まぁ代用食のようなものですが、こっちの方が美味しいという人もいます。さぁ、茹でた馬鈴薯と一緒に、黒パンに載せてごろうじろ、」
 レジェは氏の教示の通りひと口やって、しあわせそうに眼を細めた。
「黒パンと馬鈴薯が、何ともいえぬ和音を奏でるでしょう」
 まさにその通りだと、無心にもぐもぐやりながら頷いた。ちょっと硬めでどっしりした黒パンの歯ざわりのなかで、つぶがプツンとはじける。舌にも歯にも、顎にもおいしい。最後にのどにもおいしく夢中で飲み込み、すごいおいしいです、と素直な感想を告げた。
「それはよかった。それは嬉しいのですが……。ところで、パラさんはいかがされたのでしょうか、レジェ君?」
「それが……」
 レジェはパラをちらと見た。彼女はオムレッツのスプーンを休めて、コーヒーをこくこく飲んでいる。
「苦いの大丈夫なんだっけ、おまえ」
 パラは彼を意にも介さない様子で、馬鈴薯のゆでたのをフォークで突いた。
「いけませんなレジェ君。きっとキミに怒っているのですよ、彼女は」
 エルガン氏は、渋い目付きでレジェとパラを見比べた。
「レジェ君、女性を怒らせるようなことをしてはいけませんな」
 氏は、彼が本来持ち合わせる苦みばしった語勢で、叱るように諭した。その迫力にレジェは一瞬気圧され、
「怒らせることって……」
 とまどいながらパラを見た。
「レジェ君、白を切りますか。胸に手を当ててごらんなさい」
 そう云われても、皆目見当が付かないのだ。
 どうして今朝はこんな目に……、と、頭のどこかでそんな風に嘆いた。
「パラ、ぼく何かした?」
 少女は黙ったまま、玉子焼きをもぐもぐ食べているだけだ。
「怒らせるようなことしたならあやまるよ。だから機嫌なおしてよ」
 やっぱり、なにも返事はくれなかった。
「ちょっと、頼むよ。怒らせたなら悪かったって……。もしかして、あのアメ食べちゃったことか?」
 ――無言だ。かちゃかちゃ冷たい音をたてながら、金属製の食器を使う。
「そんな顔のパラは、パラらしくないぞ」
 パラはさいごのひときれを一気に口へ片付けてしまおうと躍起になったと見えて、豪快に口へ押し込んだ。収まりきらなかったかけらが、ほっぺたに引っ付く。
「まったくさ……。玉子が付いてるっての」
 レジェはひょい、とそれを摘まみ、そのまま無造作に自分の口に放り込んでしまった。年上のレジェと年下のパラである。その2人にとっては、こういうことはよくあることだった。ところが、
「レジェさま!」
 今日のパラは、突然すっとんきょうな大声を上げたかと思うと、いきなり、ひし。と腕に抱き付いてきた。
「どど、どうしたいきなり!」
「やっぱりレジェさまは……!」
 パラが満ち足りたみたいな表情で、レジェの腕に頬を摺り寄せる。
 不機嫌だったはずのパラがいきなり豹変するので、というよりいつになく過激なスキンシップを図るので、レジェは驚いたというより、なかばどう対応したらいいものか混乱するようだった。
「あぁ、な、なんだってんだって、おまえ!」
 腕にぎゅっとぬくもりが押し付けられ、レジェがどぎまぎしていると、依然とろんとしたままのカーラ女史が、したり顔でにやりと笑った。
「あんたたち、お安くないね」
「もっちろん!!」
 パラが胸をそらしながら堂々と断言するので、レジェは正直、困った。頭を掻くべき手に自由は無い。


 出立の時間がきた。
 エルガン氏は、昼食にとお弁当の折まで用意してくれていた。
「お世話していただいて、本当にありがとうございました。どうお礼したらいいか、本当に……」
「なにをおっしゃいますやら。私共も楽しかったですぞ」
 どちらともなく右手を差し出し、握手を交わす。エルガン氏のゴツゴツした掌が、レジェの小さな手を力強く握る。
「お2人とも、またトナザリナへお越しの際は、“イゝヅ亭”をよろしくお願いします」
 かたわらでは、パラが涙までこぼしている。それを見て、レジェの目蓋の奥にも熱がこもってきた。
「泣くこたないだろ。トナザへ来れば、いつでもあたし達はいるさ。また来とくれよ」
 ようやく酒の気が抜けつつあるらしいカーラ女史が、豪快に2人の肩を叩いた。
 パラが女史と握手して、レジェもそれに続く。婦人の手はやわらかだったが、驚くほど熱かった。
「かわいかったよ、坊やちゃん。パラと仲良くおやり。つぎウチへ泊まるときも、あんたたちは2人連れで、だからね」
 レジェは目蓋やら頬やら耳やら、色々なところを熱くさせ、困ったように苦笑して、その拍子に思わず一滴、眼からぱたりとこぼれたものがあった。
「ありがとうございました。また会う日まで」
「うむ、2人とも良い旅を!」
 夫妻に見送られて、朝の街へ歩き出す。心に熱いものを宿して、街並みが違った風に見えるようだった。


 玄関先で、夫妻はいつまでも2人の後姿を見守っていた。子供たちは時折、かわるがわる向きかえって手を振る。
「ああいう、子たちがいいな」
 と、エルガンは云った。
「あたしもさ……」
 カーラの肩を、エルガンがそっと抱き、婦人はその堅い手に熱い手を重ねた。

  ☆ ★ ☆ ★ ☆

「パラ、さっき何に怒ってたんだ?」
「……なんでも、ないわレジェさま。あんなくらいで怒るなんて、あたしの方もコドモみたいだったし」
――だってコドモだろ。と、レジェはそれを胸のうちに留めた。
「でも怒ってたんなら……。ぼくが何か悪い気にさせたんじゃないのか? それ、直したいから。云っといてよ」
 パラは、くすぐったそうに笑みをこぼしながら、
「だって、もうどうでもいいことですもの」
 と屈託のなさそうに、唄うように云う。
「なにがどうでもいいの」
「レジェさまは、やっぱり誤解だったんだなぁって」
「ゴカイ?」
 その疑問系に、答えは来なかった。
 並んで、黙って歩く。もしかすると、と。そしてまさか、とも思うが、レジェには何となく思い当たるふしが無いでもない。云おうか云うまいか。それを迷いながら歩いた。
 今日もよく晴れた。春にしては強い陽射しが、日陰を建物の壁に濃く焼きつける。
 大通りに出る少しまえに至って、レジェはこくっとつばを飲んでから、口を開いた。
「……パラ、こんど一緒に入ろうか、」
「え、なに?」
「おフロ」
 パラの顔色がみるみる染まった。
「エッチ!!!!!」
 噴火した怒声とともにもらったものは、強烈な平手打ちだった。
 レジェは、じりじりするほっぺたをさすりながら、衝撃で吹っ飛んだ山高帽を拾った。
 けれど立ち上がりざまにふと見えたのは、すでに笑顔を取り戻して鼻歌を唄っているパラの横顔。レジェは、そこに陽溜まりを見た。



       ――続く




   ・ #9「汽車のたび」へ


   04.10.07 脱稿

Mori Saketen.com

 


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