レジェ・パラ   #7 湯けむり温泉

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 レジェは湯の中で身じろぎしてうろたえた。
 木戸を開けて入ってきた人影は……、まちがいない。
 はだかである。はだかの婦人である。バスタオル一枚を申し訳程度に巻いているらしいが、湯煙の奥に何ともいえないラインがしっとりと浮かぶ。レジェはどうしたらよいものかわからず、とにかく俯いた。足音がひたひたと近づいてくる。ざぱんと湯桶をつかう音。
「おとなり、失礼するよ」
 ちゃぷん、と水音がして、婦人はゆっくりと湯に身体を沈めたらしい。
「トナザ温泉はにごり酒のにごれる湯、ってねぇ。有名だろうさ。それとも坊やの年代にゃ通じないかねぇ」
 貝のように固くしているレジェの顔が耳まで真っ赤なのを見て、婦人はニヤリと笑った。
「もうのぼせたのかい? 紅いほっぺしちゃってさ……」
 美しい指がのびてきて頬にさわる。レジェはそれに呼応するように、おずおずと顔を上げた。にごった湯に肩からしたは隠れている。それにほっとする。カーラ女史の頬も、すっかりまわったお酒のためにほんのり染まっていた。
「おさけ飲んでおふろ入って……、大丈夫ですか?」
「心配ご無用だよ、あたしを誰だと思ってるんだい? あたしゃヨッパライのプロさ」
「……………」
「それに、もし倒れてもアンタに介抱してもらえるのなら、それは悪くないことさ。ねぇ坊やちゃん?」
 そう云って、カラカラ笑う。白く細い首すじに浮いた汗の玉がきらりと光り、曲線に沿って流れる。身に着けた香水のかおりが熱気に昇華され、濃密に婦人を覆っている。アップにした長い赤毛が湯気のなかであざやかに浮かぶ。
「……………、」
 レジェは、ごくりとつばを飲んだ。
 濃くにごった湯が、きわどい部位を遮蔽してくれてはいる。けれど、そのくびもとが、陰影を形づくる細い鎖骨のラインが、彼女の長くしなやかな手足の線を連想させる。頭をもたげてきたものを自覚する。どうしたというのだろう。うすうす解かっているけれど、理屈じゃあない。
「どうした、ぼんやりして。そうか、浸かりすぎたんだね。身体に毒だ、そろそろ上がるかい?」
「……あ、ぅ…いえ、まだ、」
 いま上がるわけにはいかなかった。
「背中流してあげるよ……?」
「……い、いいです!!」
 レジェはカーラの細い腕を乱暴に払った。拒否の言葉が浴場の壁や天井に反響し、やけに大きく自分の耳に響く。
「坊やちゃん、温泉はね、ふつうの湯と違うのさ。効きすぎるとほんとうに毒なんだよ? さぁ、洗ってあげるからお上がり、」
 諭しながら、婦人はレジェのわきの下に手をさし入れて無理やり持ち上げた。拒みはしたが、女性とはいえ大人の力だ。彼の身体は軽々湯から引き上げられる。
「ぅぅ……」
 隠そうとしても無駄である。いやおうなしに、婦人の目にとまってしまう。
「背伸びしちゃってさ……」
「あぅぅ……、す、好きでそうしてるんじゃありません」
 レジェはもう泣きそうになってきた。
「いちど、出すかい?」
「出すって……、」
「案ずることはないさ、湯の色をごらん。わかりゃしない」
「……そ、そんな問題じゃあ……、」
 顔は蒼ざめ、いよいよ半べそになってくる。あまりの辱しめに涙がたまり、もたげた頭もしおれる。カーラは少し困ったように笑いかけた。
「冗談だよ。なんだい男のくせに。ホラホラあたしだって女さ、わかったらタオルぐらい巻きな。レディの前ではしたないとお思い!」
「は、はぁぁ……」
 大人って勝手だな、とレジェは思った。

 カーラの命ずるままに、レジェは小さな木の腰掛に坐った。どうにでもなれと、半ばやけくその意気だ。情けない顔をしている自分が目前の鏡に映る。
「そう心配するな。食べやしないさ」
 婦人は背後で膝立ちになり、ケルヒャーの実の繊維でつくったタワシに石鹸を泡立たせ、レジェの上腕をこすりはじめた。
 カーラ女史の手つきは慣れたものだ。ずいぶん勢いよく手を動かすので痛いくらいである。けれど身体がぽかぽかするような、芯から気持ちよくなるみたいな、心地よい痛さだった。泡がふわりと飛び、シャボン玉が宙に浮いた。
 鏡越しにカーラの甲斐甲斐しい姿が眼に入る。眉はすこし強いものの、いたわるみたいな、いとしむみたいな、とてもやさしげな表情をしている。威勢のいい女傑がそんな姿を見せるのが、レジェには妙に思われてならない。
 大人のお客に対しても、こんなことしてるんだろうか。レジェはとりとめもなく思いつく。
 肩から背中へ移り、おなかにまわった。あわててタオルをぎゅっと押さえる。
「ま、前は自分で……、」
「あったりまえだろ、甘えるな」
「……は、はぁ」
 先廻りしたつもりが、先走りした具合になり、レジェは恥ずかしさと気まずさに、かぁっと身体じゅうを熱くさせた。
「レジェ、」
「はぃ……、」
「おまえの旅の目的はなんだい?」
「えっ、」
 唐突な問いに、レジェはとまどった。カーラのタワシは休みなくレジェの胸をこする。
 そんなことは考えたこともなかった。行きたいから行っているだけのこと。ただ漠然と、好きな旅行をしているだけなのだ。だから、
「いろいろな街を、見てみたいのです」纏まらないままに、そう答えた。
「観光、というところか」
「はい」
「いいことだ。私がおまえくらいの歳の頃には、できなかったことさ」
 カーラはしみじみと、ためいきまじりのような息づかいで云った。
 レジェの脳裏によぎるのは、学校で、国史学の授業でならった戦のことである。
 レジェが生まれた年に幕を下ろした戦乱は、南の銀天蓋ぎんてんがいや西の天門館てんもんかんを瓦礫へと変貌させ、先代の国王をはじめとする多くの人々の命を奪ったという。鬼畜にも劣る敵軍の手により、罪の無い婦女子の虐殺も行われたと教わっている。そのような長い戦の果てに、この平和な国土があるのは夢のような話だが。
 正面の鏡に眼を向ければ、視線はカーラのそれとぶつかった。
「レジェ、旅をしな。いろんな経験をするのさ。いろいろなものを採りこんで、自分をつくる材料にするんだよ。そして良い男になれ。それがおまえの使命だ」
 レジェは、こくんと頷いた。シャボン玉がふわふわ飛んできて、ふッと吹けば割れた。カーラはくすくすと笑って、髪の毛をくしゃくしゃなでてくれた。
「つぎ、あたま行くよ」
 婦人は手の平に洗髪料をとり、レジェのやわらかな赤毛をかき回すようにして洗いだす。洗髪の技もまた、手練を感じさせるものだった。細い指先のどこにこんな力があるというのだろう。緩急つけて、髪の下の皮膚まで、さらには頭蓋までもがマッサージされるようだ。レジェはなんども恍惚としかけた。それはどこかに憶えがある気のする感覚だ。うっとりとした心の奥から懐かしいものがこみ上げてくるようで、涙が出そうになる。
「レジェ、パラのことは、どう想ってるんだい?」
 カーラが、ささやくように訊いた。
 虚を突かれたレジェは即答できなかった。そうして泡だらけの頭をカーラにゆだねたまま、すこし考え込む。
「わからないかい?」
 わからない。そう答えるのはしゃくだった。けれど、あたりまえのことであり過ぎて、ひとつのつかみどころもない。ともだちだけれど、もっと身近で。身近でありたくて……。さいきんはどうしてか気のない態度をとってしまうことがあるけれど、本当はそうしたいわけじゃなくて。
「パラはぼくの……、妹みたいなものです」
 確固たるこたえは見つからないけれど、レジェはそう答えていた。
「……そうか。ならば、守ってやれよ、彼女を」
「はい、わかってます……」
「おまえには期待しているよ、赤毛の坊や」
 レジェは少しくすぐったそうに、けれど素直にうなづいた。
「よっしゃ、いっちょあがりだよ! 30秒数えたら上がってよし。パラと交代だ!!」
 いきなり熱い湯を頭からぶっかけられ、レジェは湯の滝の中で眼を白黒させた。

 湯から上がって、火照ってかっかする身体をふわふわのバスタオルで拭った。
 脱衣場の空気は冷えびえとしているけれど、ちっとも湯冷めしない。温泉の効能か、そうでなくて別なことでなのか、それは分からない。いろいろあった入浴のひとときで、逆に疲れたような気がするけれど、カーラの持ってきてくれた浴衣ガウンにさらさらした腕を通し、帯をきゅっと締めると、ようやくひと心地が付いた。
「……ヘンなの」
 姿見に映った我が身を包むのは、北方風のエキゾチックな浴衣。不思議な感じだった。自分がこのトナザリナという地に同化する、そんな気分がする。
 あしたからまだまだ続く旅に備え、今夜はベッドでゆっくり眠ろうと思う。
「ようし……、寝るぞぉ!」
 そんな独り言も声高に、レジェは出口の戸を引いた。
「わっ、」
 開けた目の前にパラがいて、レジェはあやうくぶつかりそうになった。
「あぶないぜパラ、」
「…………」
 パラは寂しげなような、醒めたような、いつも見せない面持ちで黙っている。
「どうしたんだよ?」
 パラがちらりと上目遣いにこちらを見た。
「レジェさま、カーラさんと入ったんだ?」
「うん……、」
 それはその通りだから、首を縦に振るほかない。おとなの女性とお風呂に入ったなんて、はずかしいし、悪いことをしたみたいな気分ですこしバツが良くないけれど、別にこちらから望んだわけじゃあないんだし。
「おまえも、背中流してもらえよ」
 平気な顔を無理につくって、素気なく云った。
「…………うん、……ねぇレジェさま?」
「どうした?」
「……なんでもない。オヤスミっっっ!!」
 勢い任せのようにそう云い放って、少女はレジェの横をすり抜けて行ってしまった。
 レジェは後手で戸を閉めながら、
「同じ部屋じゃないか……」
 と、首をひねった。おやすみ、なんていつでも云えるだろうに。
 つやつや光る木板の貼られた廊下を、少し重たい足取りで歩いて行く。




        ――続く




 ・ #8「イゝヅ亭の朝」へ


   04.07.08 脱稿

Mori Saketen.com

 


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