レジェ・パラ   #6 旅の宿

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 エルガンの宿「イゝヅ亭」は、街道から一本横町に入った閑静な場所にあった。
 飾り気は少ないが機能美に優れた端整な外観は、トナザリナの街並みには稀なモノトーンの色調を帯び、主人のスマートで実直な人間をそのまま建築に表現したかのようである。レジェとパラは、エルガンのはからいでこの宿の一室に泊めてもらえることになった。
 思いがけない好意である。幾度も頭を下げて恐縮するレジェに、エルガンは「街の者が迷惑をかけたお詫びです」と云ってくれた。それは表向きで本当は子供だけの旅を心配してのことなのかも知れないが、銀髪の紳士はそのような素振などおくびにも見せず、二人を一人前の客人として扱ってくれた。
 通された部屋は簡素なものではあったが、ゆうべ高速乗合自動車アウトシティ・オムニバスの車中泊だった二人にとっては充分過ぎるものだった。ふかふかのベッドやパリっとした寝具に至福の吐息をつきながら、レジェは山高帽を脱ぎ、パラはベッドの上で弾んだ。
 陽の暮れる頃になって、食堂に案内された。
 食堂はパーティに使われるような大食堂ではなく、5、6人の掛けられる食卓が一脚あるだけの家庭的なたたずまいだった。それでも、すでに卓上狭しと広げられているご馳走はそれこそパーティのような様相だ。しかも他の客の姿はない。貸切である。
「今晩はほかに素泊まりのお客さんしかいらっしゃいません。お二人には目一杯召し上がっていただきます」
 エプロンを脱ぎながら、エルガンが云った。
 飴色に煮込まれた肉はラムらしい。それに、焼いた川魚。豆やキノコが具沢山のスープ。トナザリナの街並みのように色とりどりの木の実。その他もろもろ。レジェとパラはそれらの皿の数々に眼を奪われ、しきりにおなかを鳴らした。
「こんなごちそうを……、本当にいいんですか?」
 思わずよだれの流れそうなのを堰きとめながら、レジェは訊いた。
「お二人のために丹精を込めたのですよ」
 エルガンは穏やかに微笑みながら椅子をすすめ、自らはスモークガラスの瓶を持ち二人の前のグラスにその中身を注ぐ。深い琥珀色の液体は、甘く豊かな香りがした。
「おさけですか?」
 パラが訊いた。
「トナザリナ名産のエルヴィの実のワインを、醸造させずにジュースに仕立てたモンさ」
 不意に背後から答えたのは、ハスキーな女性の声。
 レジェが振り返ると、そこには赤い髪の女が立っていた。少ない布地から豊満な胸がまろび出そうな、煽情的な衣服に身を包んでいる。ぴったりとしたスカートには深い切れ込みが入り、長い素足が白く覗く。
「だからアルコール分はゼロ。安心しな」
「ご紹介します、妻のカーラです」エルガンが云った。
「ようこそ、お二人さん」
 レジェの椅子の背に手を掛けながら、カーラが艶っぽい声を響かせる。背後に立たれたレジェは、まごまごとうつむいた。その様子を、隣席のパラがなんとなく白い眼で見る。
「きいたよ、そのトシで子供だけの旅なんてエラいねぇ、坊やちゃん。お名前は?」
「あ……、レジェ・リグルです」
「リグル……?」
 婦人は何事か引っ掛かったような様子で語尾を上げてから、
「そうか、あのリグル家の……。ウェストかい?」
 そう問うた。不思議そうにレジェが訊ねる。
「そうですけど、なぜそれを?」
「姓の名があるというだけでも良いお家柄の証左だよ。それは有名人だってことだろう。リグル家と云えば名だたるもンさ、ねぇお嬢ちゃん」
 婦人は、パラにも申し訳程度の一瞥を投げる。
「パラと云います」と、少女はいつもより強気な感じのする声で云った。
「そうかい、かわいらしい名前じゃないか」
 明らかにオクターブの異なる声でそう云いながら、カーラはレジェの顔を覗き込む。香水のにおいが甘い。婦人がパラの視線に感付かぬはずが無かったが、彼女は無視してさらに身体を寄せた。
「そうか、リグル家の坊やは赤毛か……、きれいな色だ」
 後ろ髪を梳かれているらしい。レジェは困ったように目線を泳がせる。
「おねぇさんの髪の毛も、同じ色じゃないですか」
「色が同じでも、意味は違うのさ」
「意味?」
「そうさ」
 カーラ女史が、その長い指でレジェの頬をつんつん突く。顔がかぁっと燃え、ぁぅ、とほんの小さく声をもらした。半ズボンの裾をきゅっと握ったその掌が汗ばむ。
「カーラ、いい加減にしないか。レジェ君が嫌がるだろう、」
 いよいよ見かねたようで、エルガンが妻の露出した肩をたたいて諌めた。
「おや……? やだねぇ、中年男の嫉妬は」
「中年…………。私はまだ三十路前だぞ」
「その白髪で何を云う気だい」
「あのな、」
 エルガンはうんざりしたように息をついた。
「私の家系はトゥキュの出だ。これは銀色だよ、銀髪と云うのだ」
「なにが銀色だい。そういうのは古びた水道管の色ってんだよ」
「な、なにを?!」
 夫妻はやにわに激しくやりとりをはじめてしまった。レジェは呆気にとられたように、その光景をぽかんと見ているしかなかった。云い争いはごくごく他愛のないもののように聞こえる。カーラの軽口めいたからかい文句に、エルガンが気真面目なまでにいきり立つ。その繰り返しである。
「仲、いいんだね」
 パラが、ぽつりと云った。
「こういうのって、そう云うのかな……?」
「そうよ。……まだまだね、レジェさまも」
 パラが澄ました顔で諭すように云うのを、レジェは釈然としない心持ちで見ていた。いつのまにか喧嘩の売り手は妻から夫にかわり、妻の態度その他について苦言を繰り出しはじめている。妻も妻で歯を剥きだして負けじと反撃の体制をとった。レジェはいよいよため息をついた。
 結局、カーラが包丁を持ち出してエルガンが一方的に頭を下げるまで、二人はずっとお腹の虫をなだめ続けていなければならなかった。

 どうもすみませんということになり、気を取り直して乾杯の運びとなった。その場の全員に対して平に謝る紳士に、レジェは、男はつらいな、と取りとめもなく感じていた。
 二人の向かいの粗末な椅子に夫妻も席を占め、レジェとパラはジュースのグラス、夫妻はこれもトナザリナ名物という“にごり酒”の盃をそれぞれ掲げ、「乾杯」の一声とともに心地良い音を響かせると、ようやく晩餐が始まった。
 陽気な夫人に優しい主人。家庭的な食卓。
 よりどりみどりの料理を思い思いに皿に取り、黒パンをちぎっては猛然と食べた。パラも食欲が旺盛のようだ。競うようにフォークを動かす。それを見守りながら、夫妻が目を細める。
「ほれほれ、急がなくてもいいんだよ。料理に足があるとお思いかい?」
「おかわりもたくさん調えてあります。私共も楽しみますから、どうぞごゆっくり」
 夫妻は焼いた茄子をつまみながら、互いににごり酒を酌み交わして傾けた。
 子供の喜ぶ類の料理には手をつけようとしない夫妻の心遣いに、レジェは申し訳ないような、くすぐったいような、そんな気持ちでいっぱいになった。その横でパラが肉ばかりガツガツ食べている。
「野菜も食べなきゃダメよ、レジェさま」などとお節介を口にしながら、自分はまた肉を皿に取った。
「うん、お〜いしい♪」
 そう云って、しあわせそうにほっぺをおさえる。
「まったくさ……」
 レジェはもそもそとサラダを口にした。
「それにしても大変だったねぇ君、ねぇ坊やちゃん。えぇと、なんだっけ、レ……、レザ、レジ……、」
「レジェと、いいます」
「ああ、レジェか、レジェちゃんか。そうだったそうだった。かわいいねぇ」
「………はぁ、」
 婦人の陽気に笑うその吐息に、だんだん酒の香りが漂うようになってきた。眼付きもとろけるようにあいまいで、顔はうっすらと桜色に上気している。その表情にどきりとさせられるようだけれど、やっぱりただのヨッパライだな、とレジェは思った。
「でもさぁ、ウチのボンクラ亭主でもお役にたてて嬉しいよ実際。ねぇアンタ」
「いや、偶然あの辺りを巡邏していたもので幸運でした。彼らのなぶり者にされる子供は多いのです。拒んで殺される例もありますから」
 エルガンは難しい顔をしてそう云った。
 レジェは背筋がゾッと寒くなるようで、あわててグラスのジュースをぐっと飲んだ。
「お恥ずかしい話です。盗みでもやらなければ生きていけない子供が、いるということです。この周辺も王都やウェストと違い、まだまだ貧しく……、」
「そうかい? そうじゃないよ、」
 いきなりカーラが口をはさんだ。
「やつら、金ならあり余っているだろ。脅し盗った金でね。そうじゃなくて、ようは愉しいのさ、いたぶるのが」
「……………」
 しんと静まりかえり、部屋には女史が酒をあおる音だけが残された。
「あいつら……、」
 悲愴な表情を浮かべて、レジェが云う。
「あいつら、ぼくたちが許せないと云っていました」
「許せない?」
「観光客が市場を荒らしてるって」
 投げ落とされた罵詈雑言を思い出し、悔しさに震えながらも振り絞るようにそう云った。
 エルガンはゆっくりと息を吐きながら頷いた。
「実は、私もいまの朝市を由々しく思っています。観光客を見込んで軽薄に値をつりあげ、とても地の者の手に届かなくなった店も多く見られます。土地の者相手の風習が珍しいからこその観光であり観光客であるのに、これでは主客転倒です」
「そういえば、ポテトボンボンを買ってる地元の人って、見なかったわ」
 パラもそう云った。
「地元産でなく、どこか田舎で安く作った野菜をトナザ産と称して高く売りつけている店もあるのです。観光のお客さんはそれをニセモノと知らずに、知るよしもなく、トナザ産と思って高い代金を支払っていくのです」
 レジェもパラも、神妙な面持ちでそれを聞いていた。食事の勢いもにぶり、重たい空気が沈む。
 エルガンがそれに気付き、厳しい表情を解きながら二人の盃にエルヴィ・ジュースを注いだ。
「いけませんな、ついつい。食事は楽しみながらするものです」
 エルガンは自嘲気味に笑いながら、にごり酒を手酌で注いで、くいっと傾けた。そうして、傍らの妻にもお酌してやる。妻は当然のようにそれを夫にさせた。
「なに、君たちが気にすることではないのですよ。暴力の非は彼らにしかありませんし、朝市の堕落は我々街の人間の失態です」
「そうだそうだ。そういうこったよ。もういいじゃあないか。呑むよエルガン! アンタは呑みが足らないといっつもつまらないこと云って白けさせるんだ。ごめんねぇお二人さん、気にするこたぁないんだよ、気にするこたぁ」
 酔眼のカーラ女史も、少しく危ういろれつでそう云った。
「さぁさぁ、辛気臭いよ坊や! 酒が足らないんだよ酒が。どうだい、一杯やってみるか?」
「いえ、あの……お酒は、」
「レジェくんには7年はやいようだな」
 エルガンが、あくまで生真面目にそう云う。
「あああぁぁぁそうかそうか、自警隊長殿の御前で犯罪を幇助して悪かったよ。平にご容赦願います!」
「わかれば、よい」
 婦人の上機嫌が加速するにしたがって食卓の上を冗談や笑声が飛び交い、昼間のことを思い出して少し気落ちしていたレジェもすっかり相好をくずし、笑顔を取り戻した。
 皿が綺麗に平らげられたあとは、デザートとコーヒーが出され、みんなでゆるりと楽しんだ。心尽くしの食事に満ち足りた気分になり、レジェもパラもおなかをさすりながら椅子の背にのけぞった。
「さぁ、食事のあとの湯浴みはいかがでしょう。私共の風呂は天然温泉を引いた湯ですよ」
「温泉!」
 レジェは満面に笑みを浮かべた。長旅の埃が気になっていたところだ。パラももちろん賛意を示す。けれどさすがに一緒に入るわけにはいかない。パラがお先にどうぞと譲るので、レジェはそれに甘え、先に浴場へ案内してもらった。
 木戸を開けると、もうもうと立ち込める湯気の奥に、木組みの浴槽がしっとりと横たわっている。リボンタイを解くのももどかしく衣服を脱ぎ捨て、かかり湯をして、ざぶんと浸かる。ゆっくりと身体を伸ばす。旅の埃が流れる。気持ちいい。湯はあのにごり酒のように白く不透明でやわらかく、ほんのり甘ったるい香りがした。
 まぶたを閉じる。ゆらゆら揺れる湯が肌をくすぐる。いろいろあった一日だった。こわい思いもしたけれど、やさしい人たちに助けられ、終わってみればしあわせと思える一日だった。
「いかがかい、湯の具合は?」
 戸の外からカーラの声が響いた。着替えの浴衣ガウンでも持ってきてくれたのだろう。
 はーい、と合図しようとレジェが首を伸ばしにかかったら、木戸がおもむろに開いた。
 レジェは、息をのんだ。



       ――続く




 ・ #7「湯けむり温泉」へ



   04.06.30 脱稿

Mori Saketen.com

 


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