陽の沈みかけた乗合自動車発着所の0番乗り場に、レジェは立っていた。
この春初等科を修了したばかりの少年で、まだ背も小さい。えんじ色の山高帽に、揃いの色のインヴァネス。子供らしく膝を隠す丈の半ズボンに、丈夫な編上げ靴を履く。山高帽からのぞく赤毛は刈り上げずにうなじまで隠し、この頃ようやくやわらかくなりかけた風に、ときおり吹かれては躍る。
そんな子供が1人で0番標識の下に立っているのは稀なことである。なぜなら0番乗り場から出発してゆく乗合自動車は、みな地方へ走る長距離便、つまり高速乗合自動車ばかりだからだ。王国一の都市であるウェスト=シティ。その交通網の中枢であるテルミニには、ありとあらゆる地方からの高速乗合自動車が乗り入れている。
色とりどりのオムニバスたちが、乗降場所に着いては出てゆく。レジェはそれを眺めながら、旅への期待に胸をときめかせていた。
10歳の時はじめてウェスト=シティの外をひとりで旅してから、知らない街、知らない景色、知らないモノを見ることへの魅力にすっかりとりつかれ、それからお小遣いをためては長期休暇のくるごとに旅をしている。今回もそんな旅を志して自宅を出立してきたところだ。
レジェは背負っていた革のリュックザックを下ろし、小物入れのなかに大切にしまってある乗車券の所在を確認した。心配性なタチではなかったが、旅立つ瞬間の胸のざわめきが彼にそうさせた。
乗車券は、ウェスト=シティ・テルミニ発トナザリナ駅所ゆき「セセバル号」のものである。
乗車する便が到着するまで、まだ少し時間がある。
はやる気持ちをなだめながら、乗合自動車たちの行先表示板に掲げられる地名を読んで、時間を待った。
「レジェさま!」
名を呼ばれてハッとすると、女の子が線の細い栗毛を翻して駆け寄ってくるところだった。
「パラ、」
あんまり全力でダッシュするので、石畳にけつまづかないか危なっかしい。レジェがそう思ったとたんに、女の子は見るも見事にコケた。
「なにやってんだよ、パラ」
レジェは手を貸しながら、もう一方の手で、少女のパールホワイトのブラウスを掃ってやった。
「気をつけろよ、服がよごれるだろ」
「だって、はやくしないとレジェさまが旅立っちゃうもの」
パラは茶色の瞳をうるませながら云う。レジェはためいきをついた。
彼女は、いってみれば幼馴染のともだち、ということになるのだろう。5年前、レジェの住むチャチャタウン区に引越してきた。レジェが初等科の2年生、パラが入学したてのときのことだ。家が近いわけでもないし学年も違うのだけれど、どういうきっかけか2人はすぐ仲良しになった。いつもよく遊ぶし、休日には一緒に買い物することも多い。家族ぐるみでキャンプに出掛けたこともあった。レジェもパラも、お互いが一番気のおけない友達だと思っている。そんな仲である。
「ねぇレジェさま」
「“さま”を付けるなって」
「“レジェさま”のほうがカッコいいわ」
「ぼくの方がはずかしいんだから……」
「そーう?」
ひとつ歳下の女の子は、ふふっと笑いながら、レジェの、少し紅らむ頬をつつく。
少年は、口の中でモゴモゴと文句をつぶやいている。
「レジェさま、今度の旅はどちらへ行くの?」
「知らない」
「あ、いじわる……」
「決めてないもの」
「でも、このオムニバスには乗るんでしょう?」
「そりゃあ、そうだよ」
「じゃあ、あたしも乗る」
レジェは露骨なあきれ顔をした。
「あのね、乗るったって、市内循環線じゃあない。高速乗合なんだ。遠いところまで行くオムニバスなんだぞ?」
「知ってる。だから、わたしも旅に連れてって、レジェさま」
「連れてけだって?」
「だってレジェさま、最近わたしと遊んでくれないんだもの、それは寂しいわ」
「寂しいからってったって……」
驚きはしたけれど、なんとなくそんなことを云われそうな気はしていた。彼女の背のリュックザックが、はじめからそれを語っていたから。それに、さいきん遊べなくて寂しいというパラの気持ちは、自分も何となく同じだからわかる。近頃のレジェは、何だかほかの友達と遊ぶことの方が多くなってきた。本当はパラとも遊びたいのに、そうしたくないような、避けたいような、そんな気がしてくるのだ。なんでだろうと自分でも不思議に思っているところである。
けれど彼は、首を縦には振らなかった。
「キミは連れてけないよ」
「どうして?」
「2日や3日の旅行じゃないんだから」
「そんなの判ってる。おかあさんにも、おとうさんにも、ちゃんと云ってきたもの。レジェくんと一緒なら、安心ねって云ってたわ」
本当かな、とレジェは思う。
「だーかーら、ね、レジェさま。いいでしょ?」
「でも、ダメ」
「どうして、」
「まだキミは小さいんだから」
パラは、むぅとむくれた。
「レジェさま、去年もそれと同じこと云ったわ。去年のレジェさまと今日のわたし、同い年なのに」
「だって、あぶない目にも遭うんだぞ。旅ってのは、そういうものだ。たのしいことばかりじゃないんだ」
「いいの、レジェさまがまもってくれるもの」
彼はそう云われてちょっぴり嬉しかったけれど、すぐに態度をかたくした。
「だって、ぼくだって子供さ。まもりきれないかもよ?」
「それでもいいの、……わたしは、強い女だわ」
レジェは苦笑した。それしか反応のしようがなかったのだ。
パラの上目づかいは、けっしてそれることなくレジェを見つめたまま離れない。
「まったくさ……」
少年は、しかめっ面をつくってからためいきをひとつついて、やっとパラのまなざしに自分の視線をあわせてやった。
「乗車券は持ったのか? 高速乗合自動車の乗車券は、」
パラの面持ちに、ぱあっと陽が差した。
「うん!」
にこにこ笑って、横長の紙片をぱっと取り出す。
「用意がいいな。……知ってたのか?」
「うん。レジェさまのことは、なぁんでも!」
「まさか。大方キニヤルのやつがバラしちゃったんだろ。ヒミツにしろって云っておいたのに」
「それは、こっちこそヒミツ! キニヤルさんはショクムにチュージツよ」
「まったくさ……」
ちょうど、大きな銀色のオムニバスがゆらりと近づいてきて、旅立ちの扉を開いたところだった。
――続く